アッコの防衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/19 18:43 UTC 版)
「ジャッザール・パシャ」の記事における「アッコの防衛」の解説
ジャッザール・パシャの名が世に知られているのは、主に、1799年にナポレオンの包囲からアッコを守り抜いたことによる(アッコ攻囲戦)。 エジプト占領後、ナポレオンの率いるフランス軍は、オスマン帝国支配下のシリアとパレスチナに侵攻した。フランス軍はアリーシュとヤッファを占領し、また野戦ではことごとくオスマン軍に勝利したが、アッコの防備はついに破ることができなかった。フランス軍は伝染病(ペスト)によって弱体化され、また補給も得られなかった。ナポレオンとジャッザール・パシャはそれぞれ、現在のレバノンの大半を支配していたシハーブ家のバシールに援助を求めたが、バシールは中立を維持した。数ヶ月にわたる攻撃の後、ナポレオンは撤退を余儀なくされ、エジプトと東方世界を征服するというその試みは挫折した。
※この「アッコの防衛」の解説は、「ジャッザール・パシャ」の解説の一部です。
「アッコの防衛」を含む「ジャッザール・パシャ」の記事については、「ジャッザール・パシャ」の概要を参照ください。
- アッコの防衛のページへのリンク