アシャンティ女性の社会的役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/20 14:02 UTC 版)
「ヤァ・アサンテワァ」の記事における「アシャンティ女性の社会的役割」の解説
アサンテワァはイギリスの侵略の成り行きを理解していた。今日のガーナ人からは、アシャンティの防衛に寄与する政治的・社会的影響力を行使した王母と見られている。イギリスと戦うアシャンティの男性に影響を与えた際に演じた役割は、家母長制の機能であったようである。帝国の政治的・軍事的代表に従事する女性を見る経験は、19世紀のアフリカのイギリス帝国軍にとって異質のものであった。アシャンティの女性に向けたヤァ・アサンテワァの呼び掛けは、アカン(英語版)女性の政治的義務や立法・司法における役割に基づいている。アカン人の男性権力機構は、女性が対応することで完成された。村では女系(mpanyimfo)の頭である老女達が、ôdekuroとして知られる村の評議員の一員となっていた。Mpanyinfoとして知られaberewaまたはôbaa panyinと呼ばれる女性は、女性問題を扱う係であった。いずれのôdekuroにおいてもôbaa panyinは村の女性の問題に責任を持つ組織の一員であり、村の評議員の一員であった。 族長であるôheneや王であるômanheneには、王母(ôhemaa)として知られる評議会に席を有する女性がカウンターパートとして存在した。王母と王・族長は、同じmogya(血統あるいは地縁による女系)であった。クマシの王母は、カウンターパートに当たる男性が王(Asanthene)の地位にありアサンテ議会(Nhyiamu)の執行部あるいは内閣に相当するコトコ評議会の評議員であるため、アサンテの王母(Asantehemaa)とみなされた。王母は司法や立法に参加するだけではなく、戦争の賛否や土地の分配にも加わった。
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