アクティビジョンとの合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 01:33 UTC 版)
「インフォコム (アメリカ合衆国の企業)」の記事における「アクティビジョンとの合併」の解説
1986年6月13日、インフォコムはアクティビジョンと逆さ合併した。当初両社の関係は良好だったが、アクティビジョンのCEOジム・リーヴィが退任し、ブルース・デーヴィスが後任となって変化が生じた。デーヴィスはインフォコムへの支払いが過大だと信じ、コストを少しでも回収しようとした。 デーヴィスはインフォコムに対してアクティビジョンのパッケージ工場を使うことを要求し、同時にパッケージングのコストを値上げした。アクティビジョンの工場では比較的頻繁にミスが起きていたが、インフォコムの工場ではそのようなことは全くなかったという。 インフォコムは古いゲームタイトルも在庫を切らさないという戦略で古いゲームでもそれなりの売り上げを維持していた。例えば「ゾーク」は1980年リリースだが、1980年代中ごろまでセールスチャートのトップに残り続けていた。アクティビジョンはインフォコムにも同社の販売戦略を強要し、古いゲームを廃止して新製品に切り換えるようにした。そのため、インフォコムの安定した収入源が消え去ることになった。 デーヴィスは開発者に対して年間8本のタイトルを製作することを要求した。インフォコムは合併前の豊富な人員でも年間4本しかゲームを製作していなかった。 デーヴィスはインフォコムにグラフィカルなゲームのリリースを要求したが、それに応えてインフォコムは Fooblitzky などをリリースして失敗した。インフォコムは従来からの方針に従って移植性の高い方法でゲームを製作したが、その結果グラフィックスはどのプラットフォームでも中途半端なものとなった。 買収費用は、その後数年間のインフォコムの事業収益で清算された。
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