アキテーヌ公ギヨーム9世との初婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:18 UTC 版)
「エルマンガルド・ダンジュー (1146年没)」の記事における「アキテーヌ公ギヨーム9世との初婚」の解説
エルマンガルドの父フルク4世は、かつてカトリック教会と対立していた実兄ジョフロワ3世ル・バルビュに謀反を起こし、ジョフロワを捕らえ、発狂するまで狭い牢獄に幽閉し、アンジュー伯位から退けさせ、自らがアンジュー伯となった経歴を持つ。 フルク4世は生涯の中で5人の女性と結婚したが、エルマンガルドは初婚の妻イルドガルドとの間に唯一産まれた娘で、第一子長女に当たる。 エルマンガルドは2歳位の頃、母と死別している。 「同じ木に掘られた木像」と例えられる程、父フルク4世とよく似た容姿をしていたとされる一方、「整った美貌、美しい肢体、艶々と輝く美しい金髪、そして素晴らしい話術の才能」を持つ美女ともされ、若い時分は才色兼備として名高かった。 1088年に21歳で父方の従兄弟に当たるアキテーヌ公ギヨーム9世と結婚した。しかし、ギヨーム9世は女性に対し多情で浮気な夫であるのに対し、エルマンガルドは嫉妬深い妻であった。 夫の数多の女性問題により、エルマンガルドは精神を患い、感情の起伏が激しく情緒が不安定になり、夫婦喧嘩をしては教会に閉じこもり、その後またアキテーヌの城に戻って来るというエキセントリックな行動を取るようになった。 ギヨーム9世との間の子宝には恵まれず、結局ギヨーム9世から血縁関係を理由とし、教会に婚姻の無効を訴えられて離婚した。 離婚に終わった結婚であったが、唯一の好結果として、アンジューとアキテーヌは友好関係となり、双方の領境はより穏やかで安全な地域となった。
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