アイノコの発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 07:15 UTC 版)
1949年頃、海老原のもとに一人の宇検村出身の若者が弟子入りした。当時19歳の坪山豊である。坪山は海老原の工房に5年間の契約で年季奉公に入り、海老原から舟大工の技術を学んだ。後に坪山は独立して名瀬で工房を開き、奄美大島最高の唄者(民謡歌手)、そして坪山家は奄美群島最後の伝統舟大工の家として知られるようになる。 2006年、坪山豊の息子でやはりアイノコ建造技術を持つ坪山良一は、鹿児島大学や鹿児島県工業技術センターなどと協働する「かごしま産学官交流研究会・奄美伝統木造船部会」の事業として、アイノコをスケールダウンした小型の木造レクリエーショナルカヌー、「クッカル」を開発した。クッカルは鹿児島県内の杉材の利用促進と、奄美大島の伝統木造船建造技術の保存および木造船の利用拡大を目指すという目的を持つものであった。
※この「アイノコの発展」の解説は、「アイノコ」の解説の一部です。
「アイノコの発展」を含む「アイノコ」の記事については、「アイノコ」の概要を参照ください。
- アイノコの発展のページへのリンク