もちづき‐ぎょくせん【望月玉蟾】
望月玉川
江戸後期の画家。名は重輝、字は子瑛、資清館と号す。玉仙の子。はじめ村上東洲に、のち岸駒に師事、長崎に遊んだのち江戸で谷文晁に教えを受けた。常に呉春の画風を慕い、山水花鳥を能くした。嘉永5年(1852)歿、59才。
望月玉泉
日本画家。京都生。父は日本画家望月玉川、玉渓は子。名は重岑、字は主一、通称を駿三、別号に玉渓。父に画法を学び、御所造営などで御用画を描く。幸野楳嶺らと京都府画学校を設立し、教員として指導にあたるほか、パリ万国博覧会や内国勧業博覧会等、国内外の博覧会で活躍。望月派に岸派と四条派を折衷した風趣ある写実的な画風を確立した。帝室技芸員。大正2年(1913)歿、80才。
望月玉蟾
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