向川
| 姓 | 読み方 |
|---|---|
| 向川 | むこがわ |
むこがわ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 03:20 UTC 版)
| むこがわ | |
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「NEFELI」
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| 基本情報 | |
| 船種 | フェリー |
| 船籍 | |
| 所有者 | 甲子園高速フェリー(1990-1999) Argosaronikos Lines Shipping(1999) Minoan Flying Dolphins(1999-2005) ヘレニック・シーウェイズ(2005-2012) Navibus(2012-) |
| 運用者 | 甲子園高速フェリー(1990-1998) Minoan Flying Dolphins(1999-2005) ヘレニック・シーウェイズ(2005-2012) Navibus(2012-2019) SEMAPORT(2019-) |
| IMO番号 | 8911140 |
| MMSI番号 | 511959000 |
| 改名 | むこがわ(1990-1999) NEFELI(1999-2012) LA GALERA(2012-2019) SAN VALENTIN 3(2019-) |
| 経歴 | |
| 起工 | 1989年 |
| 進水 | 1989年 |
| 竣工 | 1990年 |
| 就航 | 1990年4月 |
| 運航終了 | 1998年8月31日 |
| 要目 | |
| 総トン数 | 3,756 トン |
| 全長 | 89.8 m |
| 幅 | 16.6 m |
| 深さ | 5.5 m |
| 機関方式 | ディーゼル |
| 主機関 | 2基 |
| 推進器 | 2軸 |
| 出力 | 7,200馬力 |
| 航海速力 | 17.5ノット |
| 旅客定員 | 602名 |
概要
第五はやぶさの代船として新浜造船所で建造され、1990年4月に就航した。バブル景気を反映して従来船より大型化した豪華フェリーとして建造されたが、結果的に甲子園フェリー最後の新造船となった。
1998年4月の明石海峡大橋開通後も運航は継続されたが、乗客減により8月31日に航路休止となり、他の5隻とともに常石造船で係船された[1]。
1999年6月、ギリシャのArgosaronikos Lines Shippingに売却され、NEFELIとなり、新たな船首を取り付けるなど改造を受けた。 改造中に、Minoan Flying Dolphinsに売却され、2000年5月にエーゲ海航路に就航した。 2005年1月、ヘレニック・シーウェイズの設立により、Minoan Flying Dolphinsが統合されたため、ヘレニック・シーウェイズへ移籍した。
2012年6月、ベネズエラのNavibusに売却され、LA GALERAとなり、マルガリータ島への航路に就航した。
2019年にSAN VALENTIN 3と改名、赤道ギニアのビオコ島北岸に位置する首都マラボと、アフリカ大陸側のバタ港とを結ぶ航路で運航されている。
航路
甲子園フェリー
ヘレニック・シーウェイズ
Navibus
- プエルト・ラ・クルス - プンタ・デ・ピエドラス(マルガリータ島)
SEMAPORT
- マラボ - バタ
設計
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事故・インシデント
プレジャーボートとの衝突
1996年2月3日、20時22分ごろ、津名港から西宮港へ向かっていた本船は、西宮防波堤東灯台の南南西約580メートルの地点で、プレジャーボートハローパシフィックと衝突した。ハローパシフィックは蛇行して航行しており、本船は減速した上、探照灯を照射したが、本船の右舷船首部にハローパシフィックの左舷中央部が後方から10度の角度で衝突した。衝突により、本船は右舷船首部に擦過傷、ハローパシフィックは左舷外板に破口を生じ、ブリッジのハンドレールを損傷した。事故原因はハローパシフィック船長の飲酒運航であった[2]。
脚注
- ^ 世界の艦船(1999年2月号,p66)
- ^ 神戸地方海難審判庁 (2 July 1998). 平成9年神審第31号 旅客船むこがわプレジャーボートハローパシフィック衝突事件 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年3月31日閲覧。
外部リンク
- 船のウェブサイト - ギリシャの旧日本船
- MarineTraffic.com - LA GALERA - 自動船舶識別装置(AIS)による現在位置表示
- むこがわのページへのリンク