ほっそれ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/20 14:12 UTC 版)
「徳山おどり」の代表曲で、村内の小学校の運動会でも踊られたため、今でも多くの徳山人が踊れるという。 元々は「輪島出てから 今年で四年じゃ 能登の輪島へ 戻りたい」という唄い出しの文句から「輪島」と呼称されていたが、昭和9年頃岐阜市公会堂にて行われた岐阜県内の盆踊りコンクール出場の際に、「徳山おどり」の代表曲として『徳山』の名を冠したものにしようと、囃し言葉を取って「徳山ほっそれ」と呼ぶようになったという。 その殆どが山林だった徳山の地には、かつて多くの木地師が入り込んでいたらしく、そうした人々が能登から伝えたのではないかといわれている。実際に「麦や節」に代表される輪島系の唄に近い唄い方をする。また7・7・7・5調の本唄の後に、7・7・7・7或いは7・7・7の長囃しが都度差し込まれ、滑稽なその文句もあって踊り場を大いに盛り上げる。 〽憂いは馬坂 ヨイ つらいはイヨー(コラショイ) ヤレ 冠ヨーオイヤーレー ヨイ のりの長いはイーヨー ヤレ 田代谷ヨー 「アリャ 越卒(おっそ)は下だよ 門脇ゃ上だよ 大井は川西 三日月ゃ拝めぬ ホッソレ ホッソレ」
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