どこへでも走って天気の中にいる
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評 言 |
一読、すうっと引き込まれる。もちろんこの自由奔放さにである。でも、ただの自由奔放さではない。何か筆者はこの句から一方ならぬ安らぎを覚えるのだ。 「どこへでも走って」の躍動感を、しっかりと受け止める「天気の中にいる」という措辞。晴天、曇天、雨天・・それら全てを差別なく「天気」と一括りにして、全身でもって慈しんでいる。そして「天気」のほうも、そんな作者を慈しんでいるかのようだ。 その大らかさと健やかさが、きっと安らぎの源なのだろうと思う。 谷氏の作品、他にも 朴の木が芽を生み出して私なり よく歩く俺だが梅雨もよく働く 睡蓮の笑いが刺さる俺も老いた 新緑の五、六百人はすぐ溶ける 紅葉や大きい音が俺にはない 昼酒にコスモス地球の可愛さかな 温泉と雪は仲良しさて人間 人間と森羅万象との交歓、それを独特の視座で捉え、軽快に、かつ瑞々しく表現している。 「慈しみ」の心、じんわりと響いてくる。 |
評 者 |
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備 考 |
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