朝した、潮した、弔した、寵した、徴した、貼した
サ行変格活用の動詞「朝する」「潮する」「弔する」「寵する」「徴する」「貼する」の連用形である「朝し」「潮し」「弔し」「寵し」「徴し」「貼し」に、過去・完了・存続・確認の助動詞「た」が付いた形。
終止形
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田原缶詰
田原缶詰本社 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
![]() 〒288-0074 千葉県銚子市橋本町1982-1 |
設立 | 1929年4月1日 |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 7040001062252 |
事業内容 | 缶詰・レトルト食品の製造 |
代表者 | 代表取締役 田原 義久 |
従業員数 | 110名 |
外部リンク | 公式サイト |
田原缶詰株式会社(たわらかんづめ)は、千葉県銚子市に本社を置く缶詰・レトルト食品(魚介類を中心)製造会社。ロングセラーの「さんまの蒲焼」の缶詰で知られ、さんまの蒲焼の缶詰の元祖でもある[1]。また、「チョウシタ」もしくは「ちょうした印」でも知られる[2]。
概要
- 1929年4月1日 - 銚子市港町1764において田原缶詰工業所を創業。国内向け「いわし大和煮」缶詰の製造と、缶詰用空缶の製缶に着手。
- 1936年 - 輸出用「いわし油漬缶詰」の生産開始。
- 1940年 - 戦時体制の進展に伴い、農林省の指導により、千葉県合同缶詰に企業合同となる。
- 1948年 - 同社解散により、銚子市橋本町2236-1にて事業再開。
- 1953年 - 田原缶詰株式会社に組織変更。
- 昭和30年代 - さんまの蒲焼の製造開始。
- 1989年 - 東京営業所を開設。
- 1998年 - 東京営業所を東京支店に業務拡張。
- 2005年 - 福島県に郡山営業所を開設。
- 2012年 - 郡山営業所を閉鎖し、福島営業所を開設。[3]
元祖さんまの蒲焼缶詰
- ロングセラーで主力商品のさんまの蒲焼については、3代目社長の田原久次郎のもと、開発され販売された。さんまを天日干しではなく、しっかりと焼き、缶の構造も二重巻締缶となっている[4]。二重巻締とは、缶蓋のカール部分と缶胴のフランジ部分を巻き込み、圧着・接合し、密封を保つもので、カール内側にシーリングコンパウンドが塗布されている[5]。この、さんまの蒲焼缶詰は、銚子市の推奨認定品にも指定されている[6]。
チョウシタのマークについて
- 中心にある「タ」は、田原缶詰のタである。「タ」を囲むものは銚子の「銚」を「丁」に言い換え、これを4つ組み合わせ「丁四」で「銚子」と読むものである。田原缶詰の商標は、銚子を土台としており、銚子の黒潮をあしらったデザインとなっている[7]。
支店・営業所
事件
- 2020年、原材料に台湾産サンマを使用した商品などに「さんま(台湾産、国産)」と表示し、スコットランド産ニシンを使用した商品などに「にしん(ノルウェー産、スコットランド産、その他)」と表示したことで、食品表示法に基づき、農林水産省から表示の是正、原因究明、再発防止策の構築などを指示された。2020年1月7日から同年3月9日までの期間で、サンマとニシンと合わせて約89万6000缶が販売されていた[8]。
脚注
出典
- ^ 小学館サライ 1993年11月号[要検証 ]
- ^ 田原缶詰株式会社
- ^ 田原缶詰資料室
- ^ ちょうした さんまの蒲焼
- ^ 東洋製罐
- ^ 銚子商工会議所 銚子推奨認定品
- ^ チョウシタの由来
- ^ “缶詰の原料原産地表示で違反、田原罐詰に是正など指示~農水省” (2020年9月28日). 2025年4月8日閲覧。
外部リンク
- ちょうしたのページへのリンク