その後の直実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:40 UTC 版)
蓮生は幾つかの寺院を開基していることで知られているが、出家後間もなくの、建久4年(1193年)に美作国久米南条稲岡庄(岡山県久米郡久米南町)の法然生誕地に誕生寺を建立した。 建久6年(1195年)8月10日、京から鎌倉へ下る。同年に東海道藤枝宿に熊谷山蓮生寺を建立した。 その後、蓮生は京都に戻り、建久8年(1197年)5月、法然寺を建立した。 建久9年(1198年)、粟生の西山浄土宗総本山光明寺を開基する。直実が法然を開山として、この地に念仏三昧堂を建てたのが始まりである。後に黒谷にあった法然の墓が嘉禄3年(1227年)に比叡山の衆徒に襲われたため(嘉禄の法難)、東山大谷から移され、ここで火葬して遺骨を納めた宗廟を建てた。遺骨は分骨された。 本領の熊谷郷に帰った蓮生は庵(後の熊谷寺)で、念仏三昧の生活を送った。元久元年(1204年)、上品上生し、早く仏と成り、この世に再び還り来て、有縁の者、無縁の者問わず救い弔いたいと、阿弥陀仏に誓い蓮生誓願状をしたためた。誓願状の自筆が嵯峨清涼寺に残されている。
※この「その後の直実」の解説は、「熊谷直実」の解説の一部です。
「その後の直実」を含む「熊谷直実」の記事については、「熊谷直実」の概要を参照ください。
- その後の直実のページへのリンク