その後の展開<1>・「分村移民」への結実
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「二十カ年百万戸送出計画」の記事における「その後の展開<1>・「分村移民」への結実」の解説
国策として進められるようになった「二十カ年百万戸送出計画」は、農林省により進められていた疲弊した農村部の経済更生運動と連動かつ深化し、1938年(昭和13年)から始められた「分村移民」として結実する。「分村移民」とは、各町村別に、「黒字農家」=「適正規模農家」を確定し、この「適正規模農家」の平均耕地面積で町村の耕地総面積を割って「適正農家」数を算出し、この戸数を超える農家を「過剰農家」とする。すなわち、農村を「適正規模農家」と「過剰農家」に『分け』、このうち「過剰農家」を満州に送り出すというものである。数式化すると、 各町村の総農家数-{各町村の耕地総面積÷「適正規模農家」の平均耕地面積}=「過剰農家」数=「満州へ送出する農家」数 となる。
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