その他の宗教建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 04:40 UTC 版)
ミヒャエルス礼拝堂は、聖堂内陣室の南に位置する二重礼拝堂で、1250年頃に建設された。かつては聖堂の建設小屋として利用され、その後納骨堂となった。西壁沿いに磔刑群像(1509年)がある。 トイトビルク=バシリカの遺構は、ナウボルン地区近郊にある。トイトビルクの教会は、778年に初めて記録されており、明らかにそれ以前に建設された。この教会の壁跡は1927年に発見された。付属墓地からは遺骨の他に700年から780年頃の陶器の破片や鉄の斧が出土している。 1263年に修道院として創設されたフランツィスカーナ教会は、「ウンテーレ・シュタットキルヒェ」(下の市教会)とも呼ばれる。内陣は現在も礼拝に用いられている。教会の長堂は世俗化された。 アルテンベルク修道院はかつてのプレモンストラート会女子修道院である。1260年から1270年頃に聖エリーザベトの娘、ゲルトルート(ドイツ語版、英語版)によって設立されたこの施設は、現在、農場およびケーニヒスベルク慈善奉仕団の母の家として利用されている。 施療教会は1755年から1764年に J. L. シュプリットドルフによって建設された教会で、講壇、祭壇上のオルガン、2階の3面バルコニー席といった見応えある調度を有している。施療教会の最初の記録は、これに付属する礼拝堂が13世紀半ばに建設されたという記述である。 ミヒャエルス礼拝堂 ウンテーレ・シュタットキルヒェ 施療教会
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