その他の大人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:50 UTC 版)
素利・弥加・厥機はそれぞれに大人であったが、遼西・右北平・漁陽などの郡の長城の外にいて、遠く離れていたために国境地帯に損害を及ぼすことは絶えてなかった。しかしその部族民の数は軻比能よりも多かった。建安年間、彼らは閻柔を通じて献げ物を奉って、漢との交易を求めてきた。曹操は彼らをそれぞれに表彰し手厚く待遇して、王の位を授けた。厥機が死ぬと、代わってその子の沙末汗を立てて親漢王の位を授けた。延康初年(220年)、彼らはまたそれぞれに使者を送って馬を献上してきた。文帝は、素利と弥加とを立てて帰義王の位を授けた。素利は、軻比能と戦いを交えた。太和2年(228年)、素利が死んだ。息子が幼かったので、弟の成律帰を王に立て、代わってその配下の統御にあたらせた。 正始元年(240年)、弱水以南の鮮卑名王たちは皆遣使を送って来献した。 正始5年(244年)9月、鮮卑が内附したので、遼東属国を置き、昌黎県を設置して彼らをそこに住まわせた。
※この「その他の大人」の解説は、「鮮卑」の解説の一部です。
「その他の大人」を含む「鮮卑」の記事については、「鮮卑」の概要を参照ください。
- その他の大人のページへのリンク