奥村増のぶ(のぶは「貝」辺に「也」)(おくむらますのぶ ?-?)
奥村増のぶ(奥村喜三郎とも)は、江戸の人で増上寺御霊屋領代官。蘭学を高野長英に、和算を丸山良玄や本多利明に、測量を伊能忠敬学んだという。
奥村は測量書・地方の書である、「量地弧度算法」を著した(天保7年 1836)。天保9年(1838)には、経緯機を作製しその使用法を解説した「經緯儀圖説用法」を著した。
同9年、渡辺崋山の推薦を受けて伊豆・韮山代官、江川太郎左衛門英龍(担庵)の江戸湾防備計画策定のための備場見分に内田恭とともに測量技術者として、増上寺御霊屋付地役人の身分で短期間ながら参加することになった(1840)。その延長に蘭学者などに向けた言論弾圧事件、いわゆる蛮社の獄があることは、その道の者にはよく知られたことである。

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