安藤広重
読み方:あんどう ひろしげ
江戸後期の浮世絵師。江戸生。幼名は徳太郎、俗称は重右衛門、のち徳兵衛、号を一遊斎・一立斎等。父の跡を嗣ぎ、八代洲河岸定火消屋敷の同心となる。歌川豊広に入門し、また。岡島林斎に狩野派、大岡雲峰に南画、さらに四条派を学ぶ。『東海道五十三次』で人気を得、風景画と花鳥画を能くした。安政5年(1858)歿、62才。
江戸後期の浮世絵師。江戸生。幼名は徳太郎、俗称は重右衛門、のち徳兵衛、号を一遊斎・一立斎等。父の跡を嗣ぎ、八代洲河岸定火消屋敷の同心となる。歌川豊広に入門し、また。岡島林斎に狩野派、大岡雲峰に南画、さらに四条派を学ぶ。『東海道五十三次』で人気を得、風景画と花鳥画を能くした。安政5年(1858)歿、62才。
安藤広重(四代)
読み方:あんどう ひろしげ(4だい)
画家。本名は菊池貴一郎。二代歌川広重の門人。二代立祥を名乗っていたが、明治44年(1911)名家の断絶するのを憂えて、清水晴風の家で四代広重の襲名式を行なった。大正14年(1925)歿、77才。
画家。本名は菊池貴一郎。二代歌川広重の門人。二代立祥を名乗っていたが、明治44年(1911)名家の断絶するのを憂えて、清水晴風の家で四代広重の襲名式を行なった。大正14年(1925)歿、77才。
安藤広重(三代)
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