『驢馬』の創刊
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1926年(大正15年)に田端文士村から一つの雑誌が登場した。『驢馬』という雑誌である。中野重治、堀辰雄、窪川鶴次郎、西沢隆二ら室生犀星の弟子というべき作家・詩人らによって作られた。題字は下嶋勲が手がけた。編集や打ち合わせは田端の高台のとある一室で行われていた。 創刊号には芥川や小穴隆一らの俳句も乗り、まさに田端文士村の文士が結集した本であった。驢馬は1928年(昭和3年)まで続いた。 この驢馬の編集の打ち合わせの後、文士達は打ち上げの食事を田端の「カフェー紅緑」というレストランでよく行っていた。その店の女給に田島いね子という女性がいた。彼女も作家志望でかねてより芥川とも面識があった。また風貌などから文士達は彼女の虜になり、やがて窪川鶴次郎と結ばれ、窪川いね子の名で作家デビューすることになった。いね子は後に佐多稲子として、20世紀の日本のプロレタリア文学を代表する作家となった。
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