『資本論』形成史の謎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 05:30 UTC 版)
転形問題は、上に見るように、最終的に、擬似問題(pseudo problem)として決着したが、何故マルクスがこのような問題設定をせざるを得なかったかについての研究は、あまり進んでいない。その中で、高須賀義博は、マルクスの著作における「資本一般」概念とそれに対立する「競争」概念の変遷を追跡しており参考になる。高須賀によると、『要綱』と『経済学批判』には、価値論が不在である。ここでは、価格は上下運動するものの中心として捉えられ、「価値から価格への「上向」展開の視座が欠落している」。「「経済学批判」体系の最初に価値規定を行なわねばならないことにマルクスが気づくのは「要綱」執筆の最後においてであると」という。マルクスが、転期となるのは1861-63年の草稿にある。ここで、マルクスは「価値どおりの販売」という仮定を自覚的に導入した。これにより、資本一般と競争の対概念の内容が変化した『資本論』第III巻の主要草稿は『資本論』第I巻出版以前に書かれていたので、「価値どおりの販売」を前提するとき、その「価値」は生産価格でなければならないことはわかっていたはずである。それにもかかわらず、『資本論』第I巻で交換が価値どおりに行なわれるとき、その価値が労働価値であるとマルクスが考えたのは、ひとつの大きな謎である。
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