『航空情報』事件
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退官後当初は『航空情報』嘱託として航空記事を執筆していた。この時『航空情報』1966年11月号に掲載した「F-104 その将来」という評論の中で日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法に違反する箇所があったとして同法三条違反を適用して書類送検された第一号となった。問題となった原稿は伊藤忠商事に勤務する元航空自衛隊幹部3名から持ち込まれたF-104Jに関する原稿を酣燈社からの依頼で書き直したものであった。抵触したのは同機に搭載された火器管制装置ナサールの「出力220kW、探知距離40浬」と言う部分であった。しかしながら、この部分が防衛機密に指定されたのは1966年2月であり、1月31日付けで退職していた青木は知る由も無かった。その後、1968年2月29日、警視庁公安部外事二課に出頭を求められ、書類送検に繋がった。取調べを担当した刑事は「これじゃあ、罪になりませんよ。こんな事件は二度と扱いたくないですね」とつぶやいたと言う。
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