『老子』における柔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 18:09 UTC 版)
『三略』に影響を与えたと言われる『老子』において「柔の思想」は、「天下の至柔は、天下の至堅を馳騁し、無有は無間に入る」 「小を見るを明と曰い、柔を守るを強と曰う」 「人の生くるや柔弱、其の死するや堅強。万物草木の生くるや柔脆、其の死するや枯槁。故に、堅強なる者は死の徒。柔弱なる者は生の徒。是を以て、兵強からば則ち勝たず、木強からば則ち共さる。強大は下に処り、柔強は上に処る。」 「天下に水より柔弱なるは莫し。而も堅強をせ攻むる者、之に能く勝る莫きは、其の以て之を易うる無きを以てなり。弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下、知らざるを莫くして、能く行う莫し。」 などに見られるように、老子はたびたび水をひきあいに出し水の「流動性、順応性、変幻自在な動き」が、堅強を崩せる要素であると指摘している。 また「「道」は万物を生み出すのみならず、すべてを受け入れる。「道」の形容詞が「柔」(或いは弱)とすれば、「剛、強、堅」などの形を成すものは全て「柔」から生まれて「柔」に帰ることになる。「柔」は全ての物を包含するのである」 と解釈もされる。
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