『楽園ペポニ』より
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/31 23:35 UTC 版)
「ピーター・オルワ」の記事における「『楽園ペポニ』より」の解説
自著『楽園(ペポニ)―ケニア人からニッポン人へのメッセージ』(PHP研究所、1996年11月)によれば、ナイロビ大学卒業後はボクシングの腕を買われ、ナイロビ刑務所で看守として働き、その刑務所内のボクシングクラブに所属したのがきっかけで、ミュンヘン・オリンピックにいけたこと、オリンピックではパナマの選手に負けたが、本来なら負けるような相手ではなく、負けた主な理由としては、そのころ勤務先の刑務所で囚人の大規模なデモがあったことが主原因で練習不足に陥ったためである、などと説明がされている。 また、自身については飽きっぽい性格であるため、オリンピック後はボクシングを続ける気にはなれず、子供のころからずっとやっていたダンスを始め、その後、有名なダンス振り付け師によって、ダンスチームとして日本に渡ることになり、ダンサーとしての活動が終了した後も日本に滞在するため、再びボクシングを開始したことを述懐している。
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