『史記』による利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:49 UTC 版)
司馬遷は楚漢の時代を扱うときに『楚漢春秋』を「述べた」と、『漢書』司馬遷伝にはある。「述べて作らず」は当時の美徳であり、司馬遷自身も「故事を述べるのであり」「作るのではない」と答えたことがある。さらに言えば『漢書』も、『史記』と重なるところでは同じ文章で綴ることが多い。『楚漢春秋』と『史記』の関係でも、材料として利用しただけにとどまらず、同じ文で書いた箇所が含まれる可能性がある。『史記索隠』や『史記集解』は、『史記』と『楚漢春秋』の違いをいちいち記しており、これは違いが多いことと同時に、違わない点もまた多いことを裏から示唆するものである。劉知幾は、8世紀初めの『史通』で、『史記』と『楚漢春秋』には異なる点が多いと評し、特に酈食其が劉邦に面会したときの話、劉邦が鴻鵠を歌った話はまったく異なると指摘した。酈食其についての異伝は逸文で伝わる。結局、『史記』は『楚漢春秋』を利用しているが、まったく引き写したというわけではなく、他の多くの資料の中の一つとして使ったのであろう。
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