『アリストテレスとプラトンの相違について』
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「ゲオルギオス・ゲミストス・プレトン」の記事における「『アリストテレスとプラトンの相違について』」の解説
プラトンとアリストテレスの神の概念について比較して、プラトンは神を「思惟されるものと個別的実体の様々な種類、つまり全宇宙の創造者」としてより偉大な力を持ち、対してアリストテレスの神は宇宙の動力としてだけである。プラトンの神は存在するものの目的と終極であるが、アリストテレスの神は運動変化の目的であるのみと述べる。プレトンはアリストテレスは重要でない事柄、たとえば貝や胚子などについて議論するが、宇宙の創造する神の信頼を欠いていると嘲った。それは彼は天界は第五の元素で構成されていると信じており、観想(テオーリア)が最大の喜びであるという見解を持っていたからだった。プレトンはそれはエピクロスの見解と同様であると主張し、彼が怠惰であると批評した修道士らの持つ見解と同じものと見なした。後にゲンナディオス2世の『アリストテレスの弁護』に応えて、プレトンはプラトンの神概念のほうがアリストテレスのものよりもキリスト教と一致していると主張した。これはダリアン・デボルトによれば部分的に異端の疑いを避けるためだったとする。
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