「陽気な王様」との結婚生活
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「キャサリン・オブ・ブラガンザ」の記事における「「陽気な王様」との結婚生活」の解説
こうしてイングランドに嫁いだキャサリンであったが、その結婚生活には常に夫の女性関係が付きまとうこととなった。夫・チャールズ2世は美人だったキャサリンを一目で気に入り、生涯大切にしたが、反面「陽気な王様」(英: Merry Monarch)とあだ名される女好きで、生涯に公認されただけでも愛人が14人、認知された庶子が14人という記録の持ち主であった。その14人の愛人達の中で特に王妃との関わりが深かったのは、カースルメイン伯爵夫人バーバラ・ヴィリアーズである。バーバラはロンドン美人と呼ばれるほどの美女であったが、気性が激しく、自分の思い通りにならないとかんしゃくを起こし、廷臣にやつ当たりし、王に無理難題を求めるわがままな女性であった。バーバラは、新婚のチャールズ2世とキャサリンがハンプトン・コート宮殿に住むことが決まった時、自分もそこに住むといって騒動を起こした。さらにそれだけではなく、無理矢理王妃付きの女官にまでなってしまい、王妃は嫌でもこの愛人と顔を合わせなければならなくなった。 その後も、ネル・グウィン、ルイーズ・ケルアイユ、マザランの姪オルタンス・マンチーニなど、入れ替わり立ち替わり夫の愛人が現れた。温和だったキャサリンは、ポルトガルへの帰国を考えたこともあったものの、愛人を多く作りながらも王妃のことは大切にするというチャールズ2世の姿勢と、1669年まで数回の妊娠がありながらも世継ぎを出産できなかったことへの引け目から、思いとどまることとなった。しかし、チャールズ2世はバーバラ・ヴィリアーズをはじめ、多くの愛人たちの間に大勢の庶子を儲けた。その中からは、1685年に王位を継承したジェームズ2世に対して反乱を起こしたモンマス公ジェイムズ・スコットのように、王位継承を求める人物も現れた。
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