「王城国」改称問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 13:20 UTC 版)
しかし、新羅が国力を高めて、735年(天平7年)日本へ入京した新羅使が、国号を「王城国」と改称したと告知したため、日本の朝廷は無断で国号を改称したことを責め、使者を追い返した。 両国関係は、朝鮮半島を統一し国家意識を高め、日本との対等な関係を求めた新羅に対して、日本があくまで従属国扱いしたことにより悪化した。なお、当時、渤海が成立し、日本へ遣日本使を派遣していることも背景にあるとされる。
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