「海鷹」その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 02:05 UTC 版)
海鷹は度重なるイギリス軍やアメリカ軍機の空襲を受け大破浸水、触雷から4日後の7月28日遂に放棄された。乗組員の殆どは既に退艦していたが、対空要員として残っていた内、20数名が戦死した。 戦後、生き残った海鷹乗組員は、「もし曳航が失敗して外洋で漂流中に撃沈されていたら、犠牲は何十倍にもなっただろう」と、夕風乗組員に大変感謝していたという。海鷹乗組員の回想では、当時900名程が乗り組んでいたとあり、定員を大幅に上回っているが、これは夕風も同様であった。戦時下で増員したと思われるが、実数は不明である。 海鷹空襲の際、合わせて別府方面にも連合国軍機の空襲が行われた。夕風も数度対空戦闘を行ったが、被害も戦果もなく切り抜けている。その後の標的艦訓練は夕風のみで続けられたが、8月に入ると空襲を避けるため夜間しか活動出来なくなっていた。
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