「双羽黒 光司」に改名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:15 UTC 版)
師匠・立浪はかねてより「横綱になればシコ名をつける」と話していて、候補として「緑島」と「双羽黒」の二つを挙げていた。北尾は横綱昇進を機に、9代春日野から「立浪一門から生んだ双葉山の『双』と、立浪部屋の定番でもある羽黒山の『羽黒』を合わせて四股名を付ければ良いではないか。そうすれば史上最高力士が誕生するかもしれん」と説得され、最終的には「双羽黒」への改名を受け入れた。双羽黒と同様、横綱昇進と同時に改名した玉の海、若乃花の推挙式の際には、推挙状はそれぞれ大関時代の「玉乃島」「若三杉」名義だったが、双羽黒の際には「双羽黒」名義で発行された。なお、ノンフィクションライターの小室明も後年、優勝経験が無い北尾を昇進させたことを問題視し、「未来の大横綱を期待する理事長の気持ちは分かるが、『双羽黒』という四股名はあまりにも不自然に作られたもので、候補にあった緑嶌などに留めるべきだった」と指摘、日本相撲協会の幹部や横綱審議委員会の責任についても言及している。
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