「刺客列伝」の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 15:49 UTC 版)
『史記』「刺客列伝」中の専諸に関する記述によれば、専諸は呉の堂邑(現在の南京市の一部)の出身で、楚から呉に逃れてきた伍子胥にその才覚を見いだされた。伍子胥は、いったん下野した際に、専諸を公子光に推薦し、専諸は公子光の側近となって以降9年間にわたって厚遇を得た。紀元前515年、呉王僚が楚へ軍を送ったのを見て、王権を奪取する機が来たと考えた公子光は、後に遺される老母と子どもの面倒を見ることを專諸に約束し、専諸を刺客として王を暗殺することを決めた。公子光の招待に警戒し、厳重な警備に護られた王のもとへ、専諸は魚料理をもって近づき、魚の中に隠し持っていた短刀で王を刺殺した。専諸は、王の護衛たちにすぐさま切り倒されたが、政権奪取は成功し、紀元前514年に公子光が呉王に即位し、専諸の子に上卿の地位を与えた。
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