「交響曲第1番」としての位置づけ
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「交響曲第1番 (プロコフィエフ)」の記事における「「交響曲第1番」としての位置づけ」の解説
プロコフィエフは『古典交響曲』に先立ち、サンクトペテルブルク音楽院時代の1908年にホ短調の交響曲を作曲していたが、オーケストレーションが良くないため響きが悪く、未熟な作品であると判断してアンダンテの楽章を残して破棄している。また、1909年には『シンフォニエッタ 』作品5が作曲されている。この曲は小さな編成のオーケストラによる明快な音楽を目指しており、『古典交響曲』と同じ路線の作品であるが演奏機会に恵まれず、後にプロコフィエフは「この2つの作品がこんなに違った運命をたどるのが理解できない。」と語っている 『古典交響曲』については、プロコフィエフは当初、厳密には「交響曲」と呼べない作品であると考えていたが、思い直してこれを自身の最初の交響曲に位置づけることとし、1925年に作曲した次の交響曲を『交響曲第2番』とした。
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