「享保18年」の特定(明治30年代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 21:27 UTC 版)
「隅田川花火大会」の記事における「「享保18年」の特定(明治30年代)」の解説
「享保18年」という具体的な年が現れるのは、明治30年代になってからである。その嚆矢が1903(明治36)年の新聞記事であり、そこには「享保十八年五月旧幕府の免許を得て始めて挙行せし」と記されている。しかし、この記事には、「享保18年」に始まったことを裏付ける根拠は一切示されていない。それにもかかわらず、これ以降、「享保18年」という数字がその真偽を検証されることなく、独り歩きしていく。 ただし、すぐに享保18年説が確固たる地位を得たわけではない。1932(昭和7)年の新聞記事では、「天和二年〔1682年〕川開が始まつてから二百五十年」とあり、主催者がそれを記念して川開きを大々的に催すことにしたと書かれている。主催者が天和2年説を喧伝していることから、1932年の段階では、まだ享保18年説は十分に定着していなかったことが分かる。
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