「九州は一つに」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 02:43 UTC 版)
緒方といえば、中野浩一、井上茂徳を中心とする、俗称九州軍団の参謀役として有名である。九州軍団が「結成」された理由は、当時、関東、南関東地区を中心に、勢力を西日本にまで拡大させていたフラワーラインに対抗するためであった。 その基礎となるべきものは、同じ熊本の先輩である矢村正が作り上げていたが、矢村がトップクラスを維持できなくなっていったこともあり、九州のまとめ役を緒方に禅譲する形で結成されたとされる。もっとも緒方は、フラワーラインのドンであった山口国男のように、勢力を他地区に拡大させるといった政治力を発揮するといったようなことは表立ってしなかったと見られ、矢村が前々から説いていた、中野を中心として九州地区を一つにまとめ上げるという形を貫く役割を果たした。そのため、競輪マスコミの中には緒方のことを、九州の総帥と名づけたところもあった。
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