「シェバ」との関連性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/17 03:16 UTC 版)
サバア王国は旧約聖書中に現れる「シェバ」の地の王国と同一視される。5世紀の歴史家フィロストルギオスは『教会史』でヒムヤル王国の住民がかつてサバ人と呼ばれ、この地の女王がソロモン王に面会するため旅立ったことを記している。しかし、聖書内のシェバを古代セム文明に属する南アラビアのサバア王国と同一視する見解に異論を投じる研究者も存在する。Israel FinkelsteinとNeil Asher Silbermanはサバア王国の成立時期を紀元前8世紀以降に定めており、シェバの女王の物語は紀元前7世紀に作り出されたものであり、アラビア交易へのユダヤ人の参入の正当化を主張するための物語であると説明している。ケネス・キッチンは、マアリブを首都とする王国が存在した時期を紀元前1200年から275年の間に定めている。 20世紀後半に行われた発掘調査と碑文研究の進展の結果、ソロモン王と対面したことで知られているシェバの女王の史実性は多くの研究者から疑問視されている。ソロモン王が在位した紀元前10世紀にサバア王国は存在していないと考えられており、南アラビアに女性君主が存在した史料の存在も確認されていない。
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