馬路村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 16:08 UTC 版)
歴史
沿革
- 1889年 - 馬路村と魚梁瀬村が合併し、現在の馬路村となる。
- 1964年 - 魚梁瀬ダム建設に伴い、魚梁瀬地区が現在地に移転。
- 1965年 - 魚梁瀬ダム供用開始。旧魚梁瀬地区が水没。
- 1979年 - 馬路温泉(コミュニティセンターうまじ)開館。
- 1997年 - 魚梁瀬小中学校にて「山の学校留学制度(山村留学)」開始。
政治
行政
村長
- 現職村長
施設
警察
- 安芸警察署馬路駐在所 - 安芸郡馬路村大字馬路2197番地1
消防
- 中芸広域連合消防署馬路分署
郵便局
- 主な郵便局
- 馬路郵便局
- 魚梁瀬郵便局
※ 集配業務は奈半利郵便局が行う
対外関係
姉妹都市・提携都市
馬路村には2021年現在、姉妹都市・提携都市は存在しない。
国内
- その他
- 日本で最も美しい村連合
- 美しい村づくり、ロゴマークの活用、サポーター会員制度、イベントの開催、広報活動を行っている地方自治体や地域の連合体に参加している。
経済
第一次産業
林業
- 魚梁瀬杉が有名。江戸時代には土佐藩が御留山として保護してきた。村の木に加えて県の木ともなっており、建築材や工芸品の製造・販売を行っている。以前は両地区に営林署があり、魚梁瀬営林署では全国でも数少ない黒字を計上していたが、林野庁による営林署再編計画によって安芸森林管理署が管轄する事務所へ格下げされている。なお、2017年の伐採をもって天然杉の大径木の伐採は中断されている[3]。
農業
- 近隣の農業協同組合が合併する中、馬路村農業協同組合は単独での生き残りを図り、馬路村の製品であることを前面に出して村自体を売る「おらが村方式」による村内販売所の整備や物産展への出展、通信販売の充実等によってユズ加工品の全国ブランド化に成功。
- 1965年(昭和40年)頃にユズの栽培が本格的に始まったが、馬路村のユズは無骨な形で見栄えが悪く、青果としての販売は低迷した。1975年(昭和50年)、馬路村農協がユズの果汁を利用した加工品としてユズ酢やユズ佃煮、ユズジャム、ユズ味噌などの生産を始めた。
- 1986年(昭和61年)には、現在の主力商品のひとつである濃縮ジュース「ゆーず」が商品化され、1988年(昭和63年)の「ごっくん馬路村」も人気商品として定着した。
- ユズの加工品の売上高は1980年(昭和55年)頃に3,000万円ほどだったが、1988年に1億円を突破した。同年には「日本の101村展」でジュース「ゆずの村」が最優秀賞を受賞して売上が急上昇し、1990年(平成2年)の同展ではごっくん馬路村が農産部門賞を受賞した。
- 売上高は1993年(平成5年)に10億円を超え、1998年(平成10年)に20億円を超えた。2000年(平成12年)にはインターネットでの通信販売が開始され、2005年(平成17年)に売上高が30億円を突破した。当初はユズの果汁を使った商品が中心だったが、1996年(平成8年)からユズ皮を使ったふりかけ「パッと馬路村」や茶漬け、こぶ茶などが商品化され、ユズの香りを活かした入浴剤や化粧水なども生まれた。
- 地域特産品としては珍しく、テレビコマーシャルが放映されており、高知県内のみならず四国・中国地方の各県や青森県などでも放映されている。
- 2020年(令和2年)9月、信用事業を終了し、専門農協となった(高知県信用農業協同組合連合会馬路村代理店を、同組合本所で受託を開始)。
第二次産業
工業
金融機関
- 高知県信用農業協同組合連合会馬路村代理店(馬路村農業協同組合本所内に設置) - 指定金融機関
民間企業
- ミトネデザイン|高知の山奥にあるデザイン事務所 (2022年6月〜)
教育
村立の小中一貫教育校が2校ある。
小中学校
- 村立
- 馬路村立馬路小中学校
- 馬路村立魚梁瀬小中学校
注釈
出典
- ^ 歴代全国ランキング
- ^ “魚梁瀬 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2023年8月14日閲覧。
- ^ 最後の伐採58本 次は20年後 毎日新聞(2017年9月17日)2017年10月11日閲覧
- ^ “集落活動センターとは|えいとここうち”. www.eitoko.jp. 2022年9月11日閲覧。
固有名詞の分類
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