風林火山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 02:24 UTC 版)
孫子の兵法
好戦的と誤解されることが多いが、『孫子の兵法』の序文は「兵は詭道なり」という言葉で始まり、「可能であるなら外交によって戦争を回避すべき」という教えである。
風林火山の原文の出典は『孫子の兵法・軍争篇』の一節、風林火山の後にも続きがあり、全文は以下である。
「 | 故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷霆[1]、掠郷分衆、廓地分利、懸權而動。 | 」 |
故に、
- 其疾如風: 其の
疾 きこと風の如 く、 - 其徐如林: 其の
徐 かなること林の如く、 - 侵掠如火:
侵掠 すること火の如く、 - 不動如山: 動かざること山の如し、
- 難知如陰: 知り難きこと
陰 の如く、 - 動如雷霆: 動くこと
雷霆 の如し、 - 掠郷分衆: 郷を
掠 めて衆を分かち、 - 廓地分利: 地を
廓 めて利を分かち、 - 懸權而動: 権を懸けて而して動く。
「風林火山」は、いざ戦争となった場合の動きを示すための言葉であり、動くべき時には風のように迅速に、動くべきでない平常時には林のように静観し、いざ行動を起こすときには烈火の如く侵攻し、守るべき時には山のようにどっしりと構えるよう、状況に応じて柔軟に対応するように……との戒めである。
転じて、「物事の対処の仕方」において、時機や情勢などに応じた適切な動き方を意味する熟語となっている。現代においては、ビジネスの経営者の間でも使われる場合がある。
孫氏の教えの要は序文の「兵は詭道なり」であり、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という武田信玄の外交・調略を多く用いた方針を表している。
『孫氏の兵法』がヨーロッパに紹介されたのは、抄録が18世紀にナポレオン・ボナパルトが愛読したと言われ、20世紀に漢文→日本語→英語と全訳が翻訳されたため、日本を介してヨーロッパに紹介された。
このため、20世紀の軍学で『孫氏の兵法』が流行した。それに伴い武田信玄がヨーロッパで有名になる土壌があった。その後、黒澤明の日本映画「影武者」によって有名となったため、風林火山は武田信玄の旗として認識されることがある。
武田信玄の孫子の旗(はた)
この文句の初出は武田晴信(信玄)が快川紹喜に書かせたという軍旗に由来する。この旗がいつ作られたのかは確かな記録がなく良くわかっていないが、『甲陽軍鑑』には永禄4年(1561年)から使用を始めていると書かれている。甲州市・雲峰寺、武田神社など数旗の現存が確認されており、特に雲峰寺のものが著名である。
風林火山と同じ種類の言葉
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