風林火山 諏訪神号旗

風林火山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 02:24 UTC 版)

諏訪神号旗

武田信玄は信仰する諏訪明神の加護を信じて「南無諏方南宮法性上下大明神なむすわなんぐうほっしょうかみしもだいみょうじん」を本陣旗としたため、映像作品では風林火山の旗と同時に出てくることが多い。

北畠氏が用いていたとする説

武田信玄風林火山の旗を用いたのは、北畠氏が中国の兵法書の『六韜』の軍学を奉じていたのに対抗するためと言われることが多い。

軍学者の兵頭二十八は、「当時の戦国武将の間では、兵法書といえば越前朝倉氏などが講義を受けていた『六韜』『三略』以外は知られていなかった。そこで信玄は、自分たちは孫子を知っているということを誇示し、敵を恐れさせるために孫子の旗を作ったのだろう」[2]と述べているが、これも憶測の域を出ていない。

インターネット上[要出典][3]では、大阪阿部野神社蔵の伝・北畠顕家の旗に、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」という文言があるといい、信玄は北畠顕家の旗を元に「孫子の旗」を作ったという説がある。

風林火山の呼称について

この旗の調査を行った戦国史研究者の鈴木眞哉が、学者の説をまとめているが、

  • 旗指物の研究を行った高橋賢一は、「風林火山」という語句は文献に全く記載なく、現代の創作だと考えている。鈴木も井上靖歴史小説風林火山』が最初ではないかと考えている。
  • 古くは、孫子の旗もしくは孫子四如の旗としか書かれていない。江戸時代の記録にも、武田信玄の軍旗としか記載がない。
  • 旗の形状にも諸説があり、実際にどんなものであったか、江戸時代の軍学者の間でも問題になっていた。
  • なぜ孫子からこの部分が引用されたのかも分からない。孫子の原文の一部が切り取られている理由も不明[4]

  1. ^ 「雷震」とする版もある。
  2. ^ 『六韜』 中公文庫解説
  3. ^ 『中世・志摩国編年実記』34頁に同様の記述あり。“「風林火山」の軍旗は、元来北畠親房が用いたもので(大阪・安倍野神社にある)”
  4. ^ 鈴木眞哉 『戦国時代のゴシップ記事』 PHP新書、2009年 ISBN 978-4-569-70955-0


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