野田内閣
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人事・政策
国務大臣
- 内閣の要となる内閣官房長官には、野田と同期で日本新党から初当選を果たして以来の盟友である衆議院議員の藤村修を起用。藤村はこれが初入閣であり、他にも平岡秀夫・安住淳・中川正春・小宮山洋子・鉢呂吉雄・一川保夫・前田武志・山岡賢次・古川元久も初入閣を果たした。また、玄葉光一郎・安住淳・細野豪志・蓮舫・古川元久といった若手議員も入閣を果たし、組閣時の平均年齢は政権交代後最も若い58.2歳となった。なお、最年少は細野の40歳である。
- 組閣に先立ち行われた民主党代表選挙で挙党態勢の構築を訴え当選した経緯から、野田は民主党の非主流派となった小沢グループから一川保夫を防衛大臣に、山岡賢次を国家公安委員会委員長等に起用。小沢グループからの入閣は菅直人内閣以来およそ1年ぶりとなった(2ヶ月前に入閣した自由党出身の平野達男は玄葉グループに所属しており、2011年(平成23年)民主党代表選挙では小沢グループが支持する海江田万里ではなく反小沢系の野田を支持しているため小沢グループからは外す。)。逆に以前の内閣で起用してきた鳩山グループの中枢メンバーからの入閣はゼロとなった。
- 野田内閣は引き続き国民新党との連立政権を継続し、同党からは自見庄三郎が入閣(再任)。
- 民主党代表選の候補者では鹿野道彦が農林水産大臣に就任し、入閣が検討されていた[9]海江田万里は見送りとなった。前原誠司は民主党の政策調査会長に就任。
- 菅第1次改造内閣、菅第2次改造内閣では民間人も入閣していたが、野田内閣では民間からは入閣しなかった。また、内閣総理大臣臨時代理就任順位第1位には藤村官房長官が指定されたため、野田内閣でも副総理は置いていない。
- 発足から9日後の2011年(平成23年)9月10日、鉢呂吉雄経済産業大臣が福島第一原子力発電所事故に関連する不適切発言の責任を取って辞表を提出。同日夜の持ち回り閣議で、9月11日付での辞任を了承した。後任には前内閣で官房長官を務めた枝野幸男が就任した。
- 2011年(平成23年)10月3日、東京電力に関する経営・財務調査委員会の報告書が取りまとめられたことを踏まえ、枝野経済産業大臣が、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償機構担当)となり、細野環境大臣は、内閣府特命担当大臣(原子力行政担当)と変更される。
副大臣・大臣政務官・内閣総理大臣補佐官
- 2011年(平成23年)
- 9月2日、副大臣・大臣政務官・内閣総理大臣補佐官の任命は後日行われる予定であったものの、平成23年台風第12号が日本列島に接近しつつあったため、同日、他の人事に先行して阿久津幸彦のみ内閣府大臣政務官に再任し、災害対策にあたらせた[10]。その他の副大臣・大臣政務官・内閣総理大臣補佐官の任命は9月5日に行われた。
- 9月7日、阿久津幸彦内閣府大臣政務官が退任し、後任に民主党の郡和子衆議院議員が就任。
- 10月3日、末松義規内閣総理大臣補佐官の担当に、少子化対策及び自殺対策が加わる。
- 11月15日、北朝鮮による日本人拉致問題を担当する大臣を補佐する副大臣が、松原仁国土交通副大臣から、後藤斎内閣府副大臣に変更となる。
注釈
出典
- ^ “蓮舫行刷相「泥臭く頑張る首相を支えたい」”. 日本経済新聞. (2011年9月3日) 2011年9月3日閲覧。
- ^ “野田内閣総理大臣記者会見”. 首相官邸. (2011年9月3日) 2011年9月3日閲覧。
- ^ “あぜ道内閣スタート”. 一川保夫のブログ. (2011年9月3日) 2011年9月3日閲覧。
- ^ “「これでいいノダ」「どんぐりころころ」…識者ら命名”. msn産経ニュース. (2011年9月3日) 2011年9月3日閲覧。
- ^ ““尾木ママ”は「課題乗り越え内閣」と命名”. スポニチアネックス. (2011年9月3日) 2011年9月3日閲覧。
- ^ “野田新内閣正式発足 党内外からさまざまな声 民主・渡部最高顧問「民主党最後の内閣」”. FNNニュース. (2011年9月2日) 2011年9月3日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “野田新内閣正式発足 野党側から「挙党態勢を意識した布陣」で「内向き」などの批判”. FNNニュース. (2011年9月2日) 2011年9月3日閲覧。
- ^ 「マニフェストは命懸けで実行。書いてないことはやらない」「シロアリを退治しないで増税はおかしい」ーーいまの首相に聞かせたい野田佳彦の「名演説」w現代ビジネス 2012年1月3日
- ^ YOMIURIONLINE2011年8月31日
- ^ “阿久津内閣府政務官を再任”. 朝日新聞. (2011年9月3日) 2011年9月3日閲覧。
- ^ “官房長官記者発表 平成23年9月2日(金)午後”. 首相官邸. (2011年9月2日) 2011年9月3日閲覧。
- ^ 総理の動き-野田内閣の発足-平成23年9月2日、2011年(平成23年)9月7日、政府インターネットテレビ。
- ^ 内閣官房長官記者発表、2011年(平成23年)9月2日、首相官邸。
- ^ a b c 内閣官房長官記者発表、2011年(平成23年)9月5日、首相官邸。
- ^ 内閣官房長官記者発表、2011年(平成23年)9月7日、首相官邸。
- ^ 内閣官房長官記者発表、2011年(平成23年)9月9日、首相官邸。
- ^ 内閣官房長官記者発表、2011年(平成23年)9月11日、首相官邸。
- ^ 内閣官房長官記者発表、2011年(平成23年)9月12日、首相官邸。
- ^ 第178回国会(臨時会)における野田内閣総理大臣所信表明演説-平成23年9月13日、2011年(平成23年)9月13日、政府インターネットテレビ。
- ^ 内閣官房長官記者発表、2011年(平成23年)9月15日、首相官邸。
- ^ 内閣官房長官記者発表、2011年(平成23年)9月20日、首相官邸。
- ^ “ウォン安回避で支援拡大 日韓首脳会談で合意+(1/2ページ) - MSN産経ニュース”. 産経新聞. 2011年10月19日閲覧。
- ^ “李大統領「慰安婦問題、優先的に解決を」 日韓首脳会談”. 朝日新聞. (2011年12月18日) 2011年12月19日閲覧。
- ^ “北朝鮮:金正日総書記が死去”. 毎日新聞. (2011年12月19日) 2011年12月19日閲覧。
- ^ “北朝鮮情報の収集に全力…政府が安保会議”. 読売新聞. (2011年12月19日) 2011年12月19日閲覧。
- ^ “野田首相の東京・新橋駅頭演説、急きょ中止に”. 読売新聞. (2011年12月19日) 2011年12月19日閲覧。
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