赤穂城 史跡、名勝

赤穂城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 01:32 UTC 版)

史跡、名勝

大石内蔵助邸は1923年(大正12年)に国の史跡に指定。赤穂城は1971年(昭和46年)に国の史跡[7]に指定された。

1990年代に門(本丸門、本丸厩口門)ならびに枡形(大手門、本丸門)あるいは本丸庭園の復元・整備が進むと、旧赤穂城庭園は2002年(平成14年)に国の名勝に指定された(本丸庭園および二の丸庭園)[8]。財団法人日本城郭協会により2006年(平成18年)に「日本100名城(60番)」に選ばれている[37][要出典]

光の天守閣(ライトアップ)

赤穂青年会議所は2006年(平成18年)より、赤穂義士祭が行われる12月14日に先立つ数日にわたり天守台でライトアップを行なってきた。天守を模した足場を築き、電飾を配して夜間に点灯させたものである[38][39]。年々、天守の高さが高くなっていたが2009年以降は5層となっている[40][41]。本来、赤穂城の天守台に天守を建てたことはない。また歴史的な資料を参考にしているわけではない。

天守台に組まれた「光の天守閣」
電球[※ 1] 高さ[※ 2] 備考
2006年 2     詳細不明
2007年 3 1.2 約22
2008年 4 1.5 約24 総鋼管8 t [38]
2009年 5 2.2 約30 総鋼管12 t [39]
2010年 5 3.0 約28 [42]
2011年 5 3.0 約28 [43]
2012年      
2013年      
2014年       天守台にプロジェクションマッピングを投影[44]
2015年       前年に続き光の天守と共に[45]
天守台にプロジェクションマッピングを投影[46]
凡例
  1. ^ 概数、万球
  2. ^ およそ地上・m

  1. ^ 赤穂市内に点在する江戸時代の井戸「汲出桝」(くみだします)は、例えば旧城下町に相当するJR播州赤穂駅前の商業施設「赤穂バザール」の前で見学できる(赤穂市加里屋42-7正面)[19]
  2. ^ 事件は老中・阿部正武に早飛脚で伝えられた[20]
  3. ^ 浅野宗家の広島城は吉方(北西)に天守がある。
  4. ^ 討たれた村上真輔のみ大正期(明治維新への反動)に五十余年を経て左翼系の運動で名誉回復(贈位)している。
  5. ^ 江戸時代にはこの奥に櫓門が存在したが、失われた。
  6. ^ 「こぐち」は狭い道・狭い口の意味。「ここう」と読むと「危険な場所」。
  7. ^ 番所には門番として足軽3名、下番2名が詰め、大手門の警護にあたった。
  8. ^ 番所跡に「明治期に撮影された隅櫓の形状とは異なる」旨の説明と当時の写真が掲示してある。
  9. ^ 大石良雄宅跡(赤穂大石神社所有)の国史跡指定は1923年(大正12年)3月7日、面積3,796.12m2
  10. ^ 「老朽甚だしく、昭和期に、総工費3,138万余円をかけて復元」[51]
  11. ^ 旧赤穂城庭園の国名勝指定は2012年(平成14年)9月20日、面積2万4912.58m2
  12. ^ 近藤源八宅跡(赤穂市所有、長屋門)の市指定文化財指定は1998年(平成10年)4月27日。
  13. ^ 案内板によると「簀子野地天井(すのこのじてんじょう)などを残し、平成13年(2001年)に解体復元」した。赤穂市教育委員会。






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