藤原為信 藤原為信の概要

藤原為信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 14:32 UTC 版)

概要

村上天皇に仕え、康保2年(965年蔵人に任ぜられた。天延元年(969年越後守に任ぜらるも、2年後には妻の甥である宮道弘氏に越後守を譲っている[要出典]。ほかに右近衛少将摂津守を歴任。

のち、常陸介に任ぜられるが、在任中の寛和3年(987年)正月10日に出家[1]

官歴

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原文範
  • 母:藤原正茂の娘
  • 妻:宮道忠用の娘
    • 男子:藤原理明
  • 生母不詳の子女

為信の娘藤原為時に嫁ぎ後の紫式部を産んだ [6]

脚注

参考文献

外部リンク


注釈

  1. ^ 『仁和寺文書』では位階を正四位下とする。

出典

  1. ^ a b 『小右記』永延元年正月13日条
  2. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “藤原為信(1)(ふじわらの ためのぶ)とは? 意味や使い方 - コトバンク”. コトバンク. 2023年2月21日閲覧。
  3. ^ 『多武峯略記』
  4. ^ 『尊卑分脈』による[注釈 1]
  5. ^ a b c 『尊卑分脈』
  6. ^ 稲賀 1982, p. 11.


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