藤原滋幹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 20:38 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 承平元年(931年) |
官位 | 従五位上・左近衛少将 |
主君 | 醍醐天皇 |
氏族 | 藤原北家長良流 |
父母 |
父:藤原国経 母:在原棟梁娘・本院侍従 |
兄弟 | 滋幹、忠幹、世光、保命 |
子 | 亮明、正明、忠明 |
藤原 滋幹(ふじわら の しげもと)は、平安時代前期の貴族・歌人[1]。藤原北家、大納言・藤原国経の子。官位は従五位上・左近衛少将。
経歴
藤原国経の子とされる。『尊卑分脈』には国経の父である藤原長良の子という記載も存在するが[1]、長良は斉衡3年(856年)に没しておりやや年代が合わない。母は在原棟梁の娘で、本院侍従と称した女性である。生年については不明だが、今井源衛は延喜初年(901年)頃と推定している[2]。このとき、国経が70歳前後、在原棟梁の娘は20歳前後だったと推測される[2]。
延長6年(928年)右近衛少将に任ぜられ、承平元年(931年)卒去[3]。最終官位は従五位上左近衛少将であった[1]。
人物
『後撰和歌集』に2首の和歌作品が採録されている他、『大和物語』に女性との贈答歌が載せられている[1]。
系譜
注記のないものは『尊卑分脈』による。
脚注
出典
- 今井源衛 「在原業平の弟と子供たち 守平・棟梁・清貫母のこと」 『日本文学研究』 21号 梅光学院大学、1985年 。2017年3月12日閲覧。
- 植村真知子 「藤原滋幹」、古代学協会; 古代学研究所編 『平安時代史事典』 角川書店、1994年。ISBN 9784040317007。
- 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年
関連作品
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