芸備日日新聞 年表

芸備日日新聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:05 UTC 版)

年表

  • 1879年(明治12年)7月8日 - 広島初の日刊紙「広島日報」発刊
  • 1881年(明治14年)7月1日 - 同進社が「広島日報」を引き継ぐ
  • 1882年(明治15年)5月4日 - 岐阜事件の報道内容に問題が有った事で販売禁止
  • 1882年(明治15年)9月1日 - 同進社が「芸備日報」を発刊。それが「芸備日日新聞」の始まりになる
  • 1884年(明治17年)12月 - 「芸備日報」廃刊になる
  • 1886年(明治19年)2月 - 同進社が、再び「芸備日報」を発刊する
  • 時期不明 - 芸備日報社に事業譲渡
  • 1888年(明治21年) - 再び、同進社からの発行になる
  • 1888年(明治21年)6月30日 - 芸備日報社を早速勝三に引き渡す
  • 1888年(明治21年)7月1日 - 早速社より題名を「芸備日日新聞」に改め発売開始
  • 同日 - 芸備日報社を芸備日日新聞社に改める
  • 1918年(大正7年)11月6日 - 社長の早速勝三死去
  • 1919年(大正8年)8月 - 個人経営だった早速社を株式会社芸備日日新聞社に組織改正する
  • 1920年(大正9年) - 主筆前田三遊が引き抜かれる
  • 1925年(大正14年) - 編集長西川芳渓死去
  • 1926年(大正15年)9月13日 - 社長の早速整爾死去
  • 1931年(昭和6年)4月 - 営業権を新たに設立した合資会社早速社に譲渡
  • 1931年(昭和6年) - 藤田組(現在のフジタ)社長の藤田一郎が実権を握る
  • 1935年(昭和10年)4月 - 経営難により中国新聞社から人材が送られる
  • 1935年(昭和10年)8月21日 - 営業権を新たに設立した株式会社芸備社に譲渡
  • 1935年(昭和10年)10月8日 - 藤田一郎が、芸備日日新聞との関係を絶つと宣言
  • 1935年(昭和10年)10月26日 - 中国新聞社に経営をゆだね、事実上の中国新聞傘下になる
  • 1941年(昭和16年)9月1日 - 芸備日日新聞と呉新聞が合併して呉新聞になる
  • 同日 - 芸備社と呉新聞社が合併して呉新聞社になる
  • 1945年(昭和20年)8月1日 - 呉新聞社が中国新聞社に吸収される
  • 1948年(昭和23年)11月3日 - 紙面も呉新聞が中国新聞に統合される

  1. ^ 当時は日清戦争中で、最大瞬間風速的に売れていたのではないかと、「『中国新聞百年史』31ページ」では触れている。
  2. ^ 『中国新聞八十年史』106ページ
  3. ^ 『中国新聞八十年史』126ページ
  4. ^ 『中国新聞八十年史』92,93ページ
  5. ^ 『中国新聞八十年史』130ページ
  6. ^ 『中国新聞八十年史』143ページ


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