第11SS装甲偵察大隊 第11SS装甲偵察大隊の概要

第11SS装甲偵察大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/05 04:09 UTC 版)

第11SS装甲偵察大隊(SS-Panzer-Aufklärungs Abteilung 11)
大隊の所属する第11SS義勇装甲擲弾兵師団の師団章
創設 1943年8月
廃止 1945年5月
所属政体 ドイツ国
所属組織 武装親衛隊
部隊編制単位 大隊
担当地域 東部戦線
主な戦歴 オラニエンバウム撤退戦
ナルヴァの戦い
クールラント会戦
ポメラニア戦線
ベルリン市街戦
テンプレートを表示

1945年5月2日、ベルリン市街戦の最終局面であるベルリン脱出戦において全滅した。

創設

背景

1943年前期、武装親衛隊の新たな師団の一つとして「ノルトラント」師団の編成が開始されると、師団所属の偵察部隊の編成も開始された。当初は5個中隊から成るSSオートバイ兵連隊(SS-Kradschützen-Regiment)として編成計画が進められたが、1943年6月にオートバイ兵連隊としての編成は中止[1]となり、代わって装甲偵察車を装備した偵察部隊として編成が進められた。

「ノルトラント」師団本隊がニュルンベルク近郊のグラーフェンヴェーア(Grafenwöhr)に駐屯している間に第1~第4の4個中隊は編成されたが、最後の第5重兵器中隊は、「ノルトラント」師団がクロアチアで訓練及び対パルチザン戦を実施していた1943年9月~10月になってようやく編成された[2]

大隊指揮官は1942年11月まで「ヴィーキング」師団装甲偵察大隊の中隊長を務めていたルドルフ・ザールバッハSS大尉SS-Hauptsturmführer Rudolf Saalbach)であった。

各中隊の構成

ジークフリート・ローレンツSS中尉SS-Obersturmführer Siegfried Lorenz)の第1偵察中隊(Späh-Kompanie 1)は、20mm機関砲と機関銃を搭載した8輪装甲偵察車を装備した4個小隊から成る中隊であった。

ハインリヒ・ヘックミュラーSS中尉SS-Ostuf. Heinrich Heckmüller)の第2偵察中隊も同様の構成であったが、こちらの装備は半装軌車型の装甲兵員輸送車Sd Kfz 250)であった。

なお、第1、第2中隊はいずれも対地・対空戦闘両用の20ミリ機関砲を装備していた。

ヴァルター・カイザーSS少尉SS-Untersturmführer Walter Kaiser)の第3装甲擲弾兵中隊(Panzergrenadier-Kompanie 3)は、装甲兵員輸送車Sd Kfz 250)を装備した第1~第3装甲偵察車小隊と、迫撃砲重機関銃を装備した第4小隊から成る約160名の中隊であったが、最大の特徴は中隊の構成人員であった。第1~第3小隊の人員はルーマニア出身の民族ドイツ人で、第4小隊の人員はスウェーデン人義勇兵であった。とりわけ第4小隊はスウェーデン人将校のハンス=イェスタ・ペーアソンSS少尉が小隊長を務めていたことも相まって、非公式ながらスウェーデン小隊(Schwedenzug)と呼ばれた。また、第3中隊にはスイス人義勇兵が何名か所属していたほか、大戦末期にはイギリス人部隊(小隊規模)である「イギリス自由軍」(British Free Corps)の(ごく一部の)隊員も第3中隊に勤務したことが明らかになっている。

ヨハネス・マックス・シャールシュミットSS中尉SS-Ostuf. Johannes Max Scharschmidt)の第4装甲擲弾兵中隊の構成は、人員以外は第3中隊とほぼ同様であった。

ハンス・シュミットSS中尉SS-Ostuf. Hans Schmidt)の第5重兵器中隊(schwere-Kompanie 5)は、75mm対戦車砲を4門装備した戦車猟兵小隊、75mm軽歩兵砲を6門装備した軽歩兵砲小隊、火炎放射器を装備した戦闘工兵小隊、そしてSd Kfz 251/9(24口径7.5cm砲搭載支援車輌)を8輌装備した小隊で構成されていた。

第11SS装甲偵察大隊(1943年夏)

  • 大隊本部:ルドルフ・ザールバッハSS大尉
    • 副官:ゲオルク・エリクセンSS中尉SS-Ostuf.Georg Erichsen)(デンマーク人
    • 総務、軍医、衛生隊、車両技術将校、武器技術将校、整備小隊、通信小隊、兵站将校
  • 第1中隊:ジークフリート・ローレンツSS中尉
  • 第3中隊:ヴァルター・カイザーSS少尉
  • 第4中隊:ヨハネス・マックス・シャールシュミットSS中尉

戦歴

第二次世界大戦中、第11SS装甲偵察大隊は装甲車を多く保有する高機動部隊として、エストニアクールラントポメラニアの各戦線において側面援護、即時反撃、後退戦闘などの分野で活躍した。また、第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」の中でも最良の部隊の一つであったことから、「ノルトラント」師団以外の部隊の支援に派遣されることもあった。


  1. ^ MarK C. Yerger German Cross In Gold Holders of the SS and Police volume 3: Regiment and Division "Nordland"p22
  2. ^ 同上。
  3. ^ Wilhelm Tieke "Tragedy of the Faithful: A History of the lll.(germanisches)SS-Panzer-Korps" p11
  4. ^ Wilhelm Tieke 前掲書 p38の記述では「北」戦闘団の指揮官は大隊長ザールバッハSS大尉であるが、Rolf Michaelis The 11th SS-Panzer-Grenadier-Division "Nordland" p51の記述では「北」戦闘団の指揮官は第5中隊長シュミットSS中尉である。
  5. ^ Rolf Michaelis 前掲書 p51
  6. ^ Wilhelm Tieke 前掲書 p41。この箇所の出典はおそらくHerbert Pollerおよび第11SS偵察大隊戦友会(Kameradschaft AA 11)が編集した書籍(非公式出版物)と思われる。
  7. ^ Wilhelm Tieke 前掲書 p41における数字。
  8. ^ MarK C. Yerger 前掲書 p95における数字。
  9. ^ Rolf Michaelis 前掲書 p51における数字。
  10. ^ Die Ritterkreuzträger der Deutschen Wehrmacht und Waffen-SS / WAFFEN-SS / Saalbach, Rudolf - SS-Sturmbannführer・ http://www.ritterkreuztraeger-1939-45.de/Waffen-SS/S/Saalbach-Rudolf.htm
  11. ^ ヴィルヘルム・ベルリン砲兵大将(General der Artillerie Wilhelm Otto Julius Berlin)のドイツ第227歩兵師団の残余。
  12. ^ Rolf Michaelis The 11th SS-Panzer-Grenadier-Division "Nordland" p76
  13. ^ 同上 p78による。ただし、Wilhelm Tieke 前掲書pp.150-151.によれば、第11SS装甲偵察大隊が「ヴァーグナー」戦闘団に配属されたのは8月24日である。
  14. ^ 同上 p80





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第11SS装甲偵察大隊」の関連用語

第11SS装甲偵察大隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第11SS装甲偵察大隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第11SS装甲偵察大隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS