玄冶店 濱田家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 06:52 UTC 版)
概要
「濱田家」の名は、花街として知られた現在の人形町周辺にあたる芳町の芸者置屋「濱田家」に始まる[1]。「濱田家」の貞奴は総理大臣・伊藤博文など元勲からも贔屓にされた芸妓で[1]、のちに日本初の女優川上貞奴として知られた[1]。置屋としての「濱田家」は明治の末に店を閉め[1]、三田五三郎が1912年(大正元年)に開業する際、貞奴から「濱田家」の名を譲り受けて料亭「濱田家」が誕生した[1]。
初代三田五三郎は福井出身で、横浜「富貴楼」と飯田橋「富士見楼」で修行し、矢の倉「福井楼」で渋谷利紀太郎の後任として料理長に就く。
1932年(昭和7年)から関西の料理人を雇い入れており、現在の料理長である南雲和市も関西出身で、日本料理研究会の師範を務めて関西調理師が構成する古萌会に所属している。
「玄冶店」は徳川家の御典医・岡本玄冶に由来する地名[1]である。玄冶は3代将軍・家光が痘瘡を病んだ際に全快させて名を高め[1]、幕府から拝領した土地に借家を建てて庶民に貸したことから一帯が「玄冶店」と呼ばれた[1]。与三郎とお富で有名な『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)の舞台として知られる。
沿革
交通
- 本店
- 東京ミッドタウン店(閉店)
- すし処 はま田(閉店)
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