森寅雄 経歴

森寅雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/12 09:58 UTC 版)

経歴

生い立ち

群馬県桐生市野間寅雄として生まれる。曽祖父は幕末北辰一刀流玄武館四天王の一人である森要蔵。母方の伯父は講談社創業者で野間道場を開設した野間清治。従兄(清治の長男)は後の講談社2代目社長野間恒。寅雄は8歳で野間清治に引き取られ、東京で育つ。

巣鴨中学校

小学校卒業後、東京府立第四中学校に入学したが、2学期から巣鴨中学校へ転入。剣道部に入部する。同校の剣道教師高野慶寿(高野茂義の長男)は、寅雄の才能に驚いた。その後レギュラーに選ばれ、全日本中等学校剣道大会で団体優勝。1931年(昭和6年)、第6回明治神宮体育大会剣道競技(現在の国民体育大会に相当)で個人優勝を果たした。

一方、従兄の野間恒は、小学校卒業後は父清治の意向で進学せず、帝王学ともいえる独自の教育を受けていた。そのため中学校の大会に出場した経験がなかった。清治は恒に試合経験を積ませるため、野間道場師範持田盛二の引率で千葉県銚子市にある格心館という道場へ試合に出向かせたことがあったが、同行した寅雄が先鋒として出場するや、格心館の門人36名をことごとく勝ち抜き、遂に恒の出番は無かった。

巣鴨中学校卒業後、有名各大学からの勧誘を断り、野間清治の意向で1932年(昭和7年)に当時講談社傘下だった報知新聞社に入社する。報知では社会部記者として桃色争議などの事件を担当し、その関係で同争議の中心人物だった水の江瀧子との仲を噂されたこともあったという[1]

天覧試合予選

1934年(昭和9年)、天覧試合の東京予選に出場し、決勝(5人総当りのリーグ戦)まで勝ち進んだ。その相手の中に野間恒がおり、2人の試合は「事実上の決勝戦」と言われた[1]。この試合において、寅雄は蹲踞から立ち上がるなり、いきなり逆胴を決められ敗北した。この試合は、寅雄がわざと負けて勝ちを譲ったのではないかとの疑惑が生まれ、野間清治から恒のために負けるように詰め寄られたとの噂まで広まった。実際には「(寅雄と恒は)これまで何回か対戦したが、勝ったことがなく、従兄には、どうしても勝てないという先入観があった」というのが原因だったようだが、この結果野間清治と寅雄との関係が悪化し始める[1]

同年5月、東京代表として天覧試合に出場した恒は優勝を果たし、「昭和の大剣士」と謳われた。

フェンシング

1937年、新天地を求めアメリカ合衆国へ渡る。その地でフェンシングに出会い、フェンシングを習い始めた。翌1938年南カリフォルニアフェンシング選手権に出場し優勝。さらに南カリフォルニア代表として出場した全米フェンシング選手権では準優勝した。決勝戦は、排日的な審判員人種差別によって敗れたとされ、実際は寅雄が勝っていたといわれる。わずか6か月の練習で実質的な全米チャンピオンになったことはフェンシング界を驚愕させ、その強さと名前から「タイガー・モリ」と呼ばれた。

その後一旦は帰国し講談社に籍を置いていたが、1938年に野間清治・野間恒が相次いで亡くなると、その後を継ぎ3代目社長となった野間左衛(野間清治の妻)との仲が急速に悪化したため講談社を退社。再び渡米した[2]

1940年東京オリンピックでメダルを取ることを期待されたが、第二次世界大戦の影響で開催は中止された。選手としての絶頂期に戦争が起こったため、オリンピックに出場することはかなわなかったが、1960年ローマオリンピック1964年東京オリンピック1968年メキシコシティーオリンピックでアメリカフェンシングチームのコーチを務めた。東京オリンピックの時の主力選手であった大川平三郎に娘を嫁がせた。彼が設立した Mori Fencing Academy は弟子で娘婿の大川平三郎に引き継がれ、大川平三郎は全米フェンシング選手権で3連覇の偉業を達成する。

なお、日本人フェンシング選手がオリンピックでメダルを取ったのは北京オリンピック太田雄貴が最初であり、寅雄がメダルを期待された60年以上後のことであった。

2013年日本人として唯一の国際フェンシング連盟(FIE)の殿堂入りを果たしその名を永遠に称えられることとなった。

死去

アメリカへの剣道普及、世界剣道選手権大会の実現に尽力したが、第1回世界剣道選手権大会開催前年の1969年心筋梗塞で死去した(享年54)。剣道の稽古中の死であった。死の直前には真剣を持った寅雄の姿を映したNestleのテレビCMの収録も終わり、全米放送が始まろうとしていた矢先で、寅雄の死によりその映像はお蔵入りとなってしまった。

悲運の剣士であったが、アメリカ剣道界、日本フェンシング界において、その教えは脈々と受け継がれている。








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