千田健太とは? わかりやすく解説

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千田健太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 14:44 UTC 版)

千田 健太
2015年 男子フルーレワールドカップにて
基本情報
国籍 日本
所属 NEXUS
誕生日 (1985-08-02) 1985年8月2日(39歳)
身長 170cm
体重 69kg
獲得メダル
日本
男子 フェンシング
オリンピック
2012 ロンドン フルーレ団体
アジア競技大会
2014 仁川 フルーレ団体
オリンピック凱旋パレード(2012年8月19日撮影)

千田 健太(ちだ けんた、1985年8月2日 - )は、日本のフェンシング選手。種目はフルーレ宮城県気仙沼市生まれ[1]。父親はフェンシング選手の千田健一[2]

経歴

宮城県気仙沼高等学校中央大学卒業。

小学校まではサッカーをやっていたが、中学に入ってから父にフェンシング選手になることを願い出た。その父による特訓によって右利きから左利きに変えた。高校では、父が監督、自らが主将[1] であった。

中央大学に進学してから、国際試合での実績を積み重ねた。大学3年時の2006年、フェンシングワールドカップシリーズ東京大会で3位入賞[1] を果たし、その年のアジア競技大会にも出場。

大学卒業後は地元宮城県に帰郷し、クラブチーム(宮城クラブ)に所属しながらワールドカップシリーズを転戦し、2008年北京オリンピック日本代表に選出された。

北京オリンピック後、2009年4月にパチンコチェーンのNEXUSが新たに創設したフェンシングチームに所属することとなった[3][4]

2012年のロンドンオリンピックフェンシング男子フルーレ団体で銀メダルを獲得。 帰国後、気仙沼市市民栄誉賞を受賞した(2012年8月)。

出場国際大会

脚注

  1. ^ a b c みやぎにエール!(みやぎ県政だより平成26年11月・12月号)”. 宮城県 (2014年11月1日). 2018年4月10日閲覧。
  2. ^ “「気仙沼から五輪へ」フェンシング指導熱衰えず”. 河北新報. (2017年7月25日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201707/20170725_14018.html 2018年4月10日閲覧。 
  3. ^ NEXUS、フェンシングチームを創設”. 電子遊戯機工業協同組合 (2009年4月). 2012年6月4日閲覧。
  4. ^ NEXUS フェンシング普及に向けチーム創設”. 娯楽産業協会 (2009年4月17日). 2012年6月4日閲覧。

関連項目

外部リンク




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