松田博資
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 05:50 UTC 版)
松田博資 | |
---|---|
2011年阪神JF表彰式 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 佐賀県佐賀市 |
生年月日 | 1946年1月29日(77歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
上田武司(1963年 - 1979年) 白井寿昭(1979年 - 引退) |
初免許年 | 1964年 |
免許区分 | 平地・障害 |
騎手引退日 | 1981年 |
重賞勝利 | 8勝(平地2勝、障害6勝) |
通算勝利 | 1037戦188勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1981年(1983年開業) |
調教師引退日 | 2016年2月28日 |
重賞勝利 | 82勝(中央70勝、地方11勝、国外1勝) |
G1級勝利 | 29勝(中央19勝、地方9勝、国外1勝) |
通算勝利 | 7001戦800勝(中央のみ) |
経歴 | |
所属 | 栗東トレーニングセンター |
佐賀県佐賀市出身。騎手時代は「障害の松田」と呼ばれ、障害競走で通算150勝の中央競馬史上最多記録(当時)を樹立[注 1]。調教師転向後は、それぞれ2007年、2010年のJRA年度代表馬に選出されたアドマイヤムーンとブエナビスタ、クラシック二冠牝馬ベガ、その産駒でGI競走7勝を挙げたアドマイヤドンなど、数々のGI優勝馬を管理している。2006年・2007年度JRA賞最多賞金獲得調教師[1]、2007年度同優秀技術調教師[1]。愛称は「マツパク」[2][3]。
経歴
1946年、両親が満州国から日本へ移る途中の引揚船の中で生まれ[4]、幼少期は福岡県小倉市(現・北九州市)で過ごした。父・和要武(とよたけ)は小倉競馬場で騎手、のちに佐賀競馬場で調教師として活動し、その影響を受けて早くから騎手を志していた[5]。中学校卒業後、東京都世田谷区の馬事公苑騎手養成長期課程に入所。同期生には菅原泰夫、嶋田功らがいる。2年次から中山競馬場・稗田敏男厩舎で研修に入ったが、稗田の妻との折り合いが悪く、研修が終わったあとに京都競馬場の上田武司厩舎に移籍[6]。1964年、上田厩舎から騎手としてデビューした。
騎手時代
体重が重かったため、デビュー当初より障害競走を中心に騎乗を続け[7]、1965年5月、クロユリで阪神大障害(京都大障害)を制して重賞初勝利を挙げる。騎手時代から、ホウシュウの冠名で知られた有力馬主・上田清次郎の支援を受け[7]、1972年には上田の所有馬ムーテイイチで二つの障害重賞に勝利、翌1973年にもホウシュウリッチで神戸新聞杯を制し、平地重賞初勝利も挙げた。以後長く「障害の松田」として鳴らしていたが、1978年より清次郎の強い勧めで調教師免許試験を受験[8]。1981年に3度目の受験で合格し、免許を取得。これに伴い騎手を引退した。通算1037戦188勝、うち重賞競走8勝。
調教師時代
1983年、滋賀県栗東トレーニングセンターに自身の厩舎を開業。同年4月23日、ボールドスミスで初勝利を挙げる。初年度からブルキングで阪神障害ステークス(春)を制し、調教師として重賞を初勝利。当初は騎手時代に勝てなかった障害の最高格競走・中山大障害制覇を目標として障害競走に力を入れており、毎年のように障害の重賞を制した[9]。
1988年、清次郎が創業した上田牧場出身馬・コスモドリームが優駿牝馬(オークス)を制し、GI競走初制覇を果たす。以後平地競走での成績が目立ち始め、1993年にはベガで桜花賞、オークスを制した。1999年には上田牧場の生産馬ブゼンキャンドルで秋華賞を制覇し、調教師として史上4人目の牝馬三冠を達成。これは同場最後のGI競走勝利となった。上田牧場は2001年に廃業したが、松田は調教助手らが調教の際に着る調教服や、管理馬がレースで着用する頭絡の額革のデザインに、上田清次郎・上田牧場の勝負服色と同じ黄黒元禄を採用している。
2001年からはベガの第3仔であるアドマイヤドンを管理し、地方交流も含めて7つのGI競走を制覇。また同時期にはダートGI競走6勝を挙げたタイムパラドックスも管理し、両馬でJBCクラシック5連覇を達成、同一GI競走の連勝記録を作った。ベガの仔については、初仔で日本ダービーを制したアドマイヤベガ、第2仔アドマイヤボスと、馬主・近藤利一と親しい橋田満が管理していたが、近藤が「ベガを育てた松田調教師にも仔を管理して欲しい」と希望したことにより松田厩舎へ入った経緯があった[10]。これを契機に近藤からの預託が増え、2006年と2007年にはアドマイヤムーンらの活躍で年間最多賞金獲得調教師のタイトルを獲得した。
2008年からは牝馬ブエナビスタが活躍、2010年には同馬の総獲得賞金が10億円を突破し、松田の管理馬としてアドマイヤムーンに続く2頭目の10億円ホースとなった[注 2]。管理下からの複数の10億円ホース輩出は池江泰郎[注 3]に続く史上2人目の記録となった。またブエナビスタは同年に牝馬として史上4頭目の年度代表馬に選出されている。
2014年4月7日の第74回桜花賞でハープスター(川田将雅騎手騎乗)が優勝した[11]。同馬は同年10月15日のフランス凱旋門賞にも挑戦したが、6着に終わった[12]。同年12月6日の第50回金鯱賞(GII)でラストインパクトが優勝し、2006年以来のJRA重賞レース年間8勝を達成した[13]。同年は年間49勝を挙げた[13]。
引退の前日である2016年2月27日阪神10レース、ラブラバード(川田騎乗)で通算800勝を達成した[14]。翌2月28日をもって定年のため調教師を引退した。中央競馬の生涯成績は7001戦800勝、重賞73勝(GI19勝)[15]。
騎手成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 38 | 51 | 46 | 332 | 467 | .081 | .191 |
障害 | 150 | 85 | 76 | 259 | 570 | .263 | .412 |
計 | 188 | 136 | 122 | 591 | 1,037 | .181 | .312 |
日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|
初騎乗 | 1964年3月28日 | - | ワリー | - | - | 2着 |
初勝利 | 1964年5月17日 | - | トサクイン | - | - | 1着 |
重賞初騎乗・初勝利 | 1965年6月10日 | 阪神大障害 | クロユリ | 4頭 | 2 | 1着 |
GI初騎乗 | 1966年4月10日 | 桜花賞 | ホツカイフジ | 23頭 | 21 | 23着 |
注釈
出典
- ^ a b c d “JRA賞 バックナンバー”. 日本中央競馬会. 2018年4月14日閲覧。
- ^ 中舘英二 (2009年8月25日). “マツパク流を学ぶ”. 中舘英二オフィシャルブログ 逃稿日記. 2011年11月12日閲覧。
- ^ “レーヴは天才少女 マツパクGOサイン! / エ女王杯”. Gallop online (2011年11月11日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ 芦谷(1999)p.52
- ^ 木村(1997)p.419
- ^ 木村(1997)p.420
- ^ a b 木村(1997)p.421
- ^ 木村(1997)p.422
- ^ 木村(1997)p.423
- ^ 木村(2000)p.206
- ^ “ハーブスターが桜の女王に、川田「ゴールまでに全部つかまえられると」/桜花賞”. netkeiba.com. デイリースポーツ. (2014年4月14日) 2018年4月14日閲覧。
- ^ “日本勢無念の完敗…今年未勝利のトレヴが復活の連覇/凱旋門賞”. netkeiba.com. (2014年10月5日) 2018年4月14日閲覧。
- ^ a b “松田博資の年度別成績|競馬データベース”. netkeiba.com. 2018年4月14日閲覧。
- ^ “定年解散直前に松田博師800勝達成”. デイリースポーツオンライン. (2016年2月27日) 2018年4月14日閲覧。
- ^ 橋口弘、松田博、武田の3調教師がラストラン サンスポ競馬予想王 2016年2月28日
- ^ 2015年青葉賞レース結果 - netkeiba.com 2015年5月6日閲覧
- ^ a b 高橋章夫 (2013年4月). “オリジナルインタビュー 中留伸治調教助手”. 競馬ラボ. ドゥーイノベーション. 2013年4月15日閲覧。
- ^ 大島悠亮 (2010年1月31日). “【衝撃事件の核心】“勝負服”盗難 レアグッズに群がる競馬ファンのゆがんだ心理”. MSN産経ニュース. マイクロソフト. p. 1. 2011年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月28日閲覧。
固有名詞の分類
- 松田博資のページへのリンク