春日王克昌 略歴

春日王克昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 01:28 UTC 版)

略歴

  • 1998年11月場所:初土俵
  • 2002年7月場所:新十両
  • 2003年1月場所:新入幕
  • 2004年7月場所:再入幕(2)
  • 2004年11月場所:再入幕(3)
  • 2005年9月場所:再入幕(4)
  • 2008年9月場所:再入幕(5)
  • 2009年7月場所:再入幕(6)
  • 2010年3月場所:再入幕(7)
  • 2010年9月場所:再入幕(8)
  • 2011年4月:引退

人物

  • 早くに父親を亡くし、幼少時から母親が掃除婦などをしながら身を粉にして自分を育てるのを見てきたため、母想いは人一倍である。初来日して春日山部屋での稽古を見るなどして相撲の迫力に触れ「ここで成功すれば、親孝行できるのではないか」と考えたのが角界入りを決心した動機であり、またその後の精進の原動力になっている。入門後は一切無駄遣いをせずに貯めたお金で母親のために住宅を購入してプレゼントしたほか、母親が入院・手術した際にはすぐに飛行機で里帰りして見舞い、万一手術後の予後が芳しくない場合には日本に呼び寄せて近くで看護したいと願い出ている。
  • また、力士養成員(幕下以下のいわゆる「取的(とりてき)」)時代から、部屋が主催する地元川崎市内の教育機関や地域奉仕への催事に精力的に参加し、2002年6月11日に川崎市役所を表敬訪問した際には、阿部孝夫川崎市長をして「春日王関は地元の誇り」とまで言わしめている。反面、ひとたび土俵に上がると真剣そのものでプロ気質に富んでおり、今まで何回も怪我をしてきたものの決して泣きごとは言わず、観客の見つめる本場所の土俵上では多少の怪我程度では絶対にサポーター包帯を付けないという信念の持ち主でもある。
  • 高尿酸血症で痛風発作に苦しんだ時期があるほか、若年性高血圧症の範疇でもあるが、かえってこれが幸いして兵役を免除されている。
  • 1998年5月場所千秋楽で3代目若乃花(花田虎上)が横綱昇進を決定付ける優勝を成し遂げるのを目の当たりに観戦して以来、若乃花に憧れているほか、時に破壊的な小手投げを披露する大関魁皇の全盛期のような力相撲を目標としている(2007年3月場所で初めて魁皇と対戦し、小手投げで勝利している)。また、引退後は日韓両国にまたがる実業家になる夢を持っていたことから、この面においても花田に憧れていたとされる。

エピソード

  • 2001年(平成13年)には、韓国の公共放送局KBSのシルム経験記者の3日間にわたる体験入門による密着取材を受けている。
  • 日本の携帯電話着メロサイト『大相撲』で、力士としては唯一韓国語バージョンの着ボイスを配信している。
  • 2005年(平成17年)10月22-23日、シルムの日本公演が両国国技館で開催され、かつて春日王が在籍した仁荷大学校シルム部の後輩で互いに稽古し合った旧知の李成源(イ・ソンウォン)が優勝した。
  • 2006年(平成18年)8月4日放送の『元祖!でぶや』(テレビ東京系)のにおいて、「富士山麓穴場スポットツアー」に旭天鵬把瑠都とともにゲスト出演し、共演ゲストふかわりょうと絶妙なカラミを見せ「まいう~」を連発して、その気さくな人柄を見せつけた。
  • 2007年(平成19年)3月場所、横綱朝青龍との初対戦が実現した。稽古場や巡業ではなぜか分がいいということで話題になったが、結局朝青龍が勝った。
  • 2007年(平成19年)7月場所7日目、横綱白鵬と対戦する安美錦に代わって白鵬の太刀持ちを務めたが、これにより露払い龍皇と共に外国出身力士だけによる横綱土俵入りが初めて実現した。
  • 春日山部屋のすぐ近隣にある新築分譲マンションの購入を検討していたが、価格が相場と比べてあまりにも安価であったため、不審に思った春日王はそのマンションの購入を取りやめた。その後、そのマンションは構造計算書偽造事件において耐震強度が問題となった、元建築士が構造計算を偽造しヒューザーが販売した「グランドステージ川崎大師」であることが判明し、強度の地震で倒壊した場合には隣接する春日山部屋にも被害が及ぶ可能性を持つものであった。春日王は新聞社の取材に対して、「実は将来に備えて、自分も買おうかどうしようか随分迷ったんですよ。でも、買わないでよかった。もし買っていたら、今ごろ、相撲どころではないところでした」と語っている。
  • 医学博士タレント木下博勝と仲が良く、木下のブログにも度々登場している。
  • 2010年11月23日、北朝鮮による韓国・延坪島(春日王の実家から直線距離80キロ)への砲撃(延坪島砲撃事件)を知らされ、ショックを受けている様子が報道された[7]

  1. ^ 春日王と清瀬海、引退勧告受け入れ…八百長問題 スポーツ報知 2011年4月2日
  2. ^ 琴春日らが引退届を提出/大相撲 サンケイスポーツ 2011年4月4日
  3. ^ 月刊誌「相撲」のインタビュー記事では後に卒業資格を取ったと話している
  4. ^ 八百長関与23人に厳罰=理事3人も引責辞任-相撲協会[リンク切れ] 時事ドットコム 2011年4月1日
  5. ^ 春日王と清瀬海、引退勧告受け入れ…八百長問題 スポーツ報知 2011年4月2日
  6. ^ 琴春日らが引退届を提出/大相撲 サンケイスポーツ 2011年4月4日
  7. ^ 産経新聞、サンケイスポーツなどが報道
  8. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年6月20日閲覧。
  9. ^ 左母趾1P関節開放性脱臼のため12日目から途中休場
  10. ^ 左内側側副靱帯及び前十字靱帯損傷のため9日目から途中休場






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