愛知県第1区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 07:17 UTC 版)
愛知県第1区 | |
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行政区域 |
名古屋市東区・北区・西区・中区 (2022年12月28日現在) |
比例区 | 東海ブロック |
設置年 | 1994年 |
選出議員 | 熊田裕通 |
有権者数 |
40万3902人 1.761 倍(一票の格差・鳥取1区との比較) (総務省・2022年9月1日) |
区域
1994年(平成6年)公職選挙法改正以降の区域は以下のとおりである[1][2]。
歴史
名古屋市は中選挙区制の末期頃から野党の勢力が伸長しており、1996年の第41回衆議院議員総選挙では「新進王国」と呼ばれるほどの強さを誇った。新進党解党後は多くの議員が民主党入りしたこともあり、一時期は全国屈指の「民主王国」と呼ばれた地域だった。2023年2月1日現在の人口は2,323,796人[3]。
名古屋市の中でも特に1区は新進、民主と渡り歩いてきた河村たかしが全国的な知名度から過去の選挙では党勢に関係なく無類の強さを誇っていた。
河村は2009年3月25日、名古屋市長選挙(同年4月26日投開票)へ立候補することを正式表明する。4月7日、河村の議員辞職願が衆議院本会議で受理された[4]ことにより、1区は同年4月から7月21日の衆議院解散時まで欠員状態となった。
2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、河村の元秘書で選挙区内を地盤とする元愛知県議の佐藤夕子が初当選した。その後、佐藤は民主党を離党、河村が代表を務める減税日本へ移籍した。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、自民党新人の熊田裕通が、減税日本所属国会議員が合流した日本未来の党所属となった佐藤と、前回は比例東海ブロック単独で当選した吉田統彦の二人の現職候補者を破り初当選した。これにより、当選挙区導入後河村は佐藤と合わせて守り続けてきた議席を手放すこととなった。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、民主党吉田統彦が現職である自民党熊田裕通に挑むも敗れた。減税日本の広沢一郎は支持が広がらなかった。
2017年10月の第48回衆議院議員総選挙では、吉田と佐藤がそれぞれ立憲民主党と希望の党へ鞍替えして熊田に臨むも熊田が制した。吉田は比例で復活当選を果たしたが、佐藤は落選に終わった。
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙でも熊田が四選、吉田は再び比例で復活当選した。
小選挙区選出議員
- ^ “衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第131回国会 制定法律の一覧 >法律第百四号(平六・一一・二五)”. 衆議院 (1994年11月25日). 2021年10月2日閲覧。住居表示などにより変更する可能性がある。
- ^ “愛知県”. 総務省. 2023年1月9日閲覧。
- ^ “名古屋市:名古屋市の人口(市政情報)”. www.city.nagoya.jp. 2023年3月4日閲覧。
- ^ 河村たかし氏:名古屋市長選立候補で衆院議員辞職 - 毎日jp 毎日新聞 2009年4月8日 0時20分(最終更新 4月8日 02時40分)
- ^ “衆院選2021 開票速報 愛知”. 衆議院選挙2021特設サイト. 日本放送協会. 2021年11月1日閲覧。
- 1 愛知県第1区とは
- 2 愛知県第1区の概要
- 3 選挙結果
- 4 脚注
固有名詞の分類
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