恵迪寮
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歴史
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- 寄宿舎 - 初代恵迪寮時代
- 1876年に北大の前身となる札幌農学校が開校、同じ年に現在の札幌市時計台あたりに寄宿舎ができる(恵迪寮の前身)。その後、1903年7月の札幌農学校キャンパス移転に伴い、同年11月に寄宿舎が新築され、1905年4月に開舎式が実地された[5]。
- 1907年1月に寄宿舎内で寮名、寮歌の募集をすることが決まった際、札幌農学校予科漢文担当の新居敦二郎助教授から漢籍に基づいて「猶興」「有恒」「有隣」「恵迪」の4案を提示され、寄宿舎の選考委員会によって寮名を「恵迪寮」に決定した[5]。
- 寮自治については、1899年の第一期委員会の発足とともに本格的に歩み出した。それまで「大学から与えられた自治」としての面が強かった自治制度が、この寮独自の方向へ進んでいく。具体的には、寮独自の自炊制度を確立、消費組合を結成して購買部の自営を行っていた。寮自治の全盛期と言われるほど、この頃の寮自治は充実していた。
- 寮内の雰囲気は、バンカラ気質に溢れ、連日連夜寮生たちが夜街を怒鳴り歩いていたこともあり、独特の学生気質を持っていた。
- 二代目恵迪寮
- 太平洋戦争が近づくにつれて大学当局は寮自治への介入を強めていった。1940年には、寮運営のシステムが寮生の選挙による執行委員会制から、大学の任命による幹事会制に変更された。さらに物資不足などの影響もあり、自治の象徴であった自炊制度、購買組合までも廃止された。寮自治は一時崩壊を迎えていく局面を迎える。
- 管理された寮はいわば戦争のための修練の場となり、朝礼や体操などの実行が強化され、寮生は空腹と束縛に苦しめられた。だがこんな時代の中でも、寮生たちは「いくら外面的に規定しても、内面的に我々の生活を規定できるものではない」という気持ちを持ち続けていた。
- その後終戦を迎え1946年には新委員会が発足し、寮自治は再建され始めた。しかし、この頃の自治会会が対処しなければならなかったのは、対大学当局的な問題ではなく、深刻な食糧難だった。
- 執行委員は勉学を犠牲にして寮生の食料確保に努め、無断で北大の農場に入り芋などを盗んでいた。そんな辛い時代の中でも、「上級生は下級生よりも余計に食わない。もし食ったものがいたら軽蔑された」という礼儀は続けていた。
- その後の安保闘争、学生運動の時代を経て、1970年ごろになると寮の老朽化が深刻になり、建て替え問題が本格的になった。
- 当時の寮生たちは、4人部屋での共同生活を通して寮生間の幅広い交流を行い、濃密な人間関係を形成していた。しかし学生運動の影響もあり、文部省は学生の共同生活は社会の危険因子を産むと考え、完全個室で食堂のない寮でないと新しく建ててはならないと決めてしまった。そして大学側もそれに従って新しい寮を建てる意向であった。寮生は反対するが、新たな寮の建設は決定した。使命を終えた旧建物は、その一部が北海道開拓の村に移築復元され、「旧札幌農学校寄宿舎」として保存されている[6]。
- 三代目恵迪寮
- 1983年に現在の三代目恵迪寮が建てられた。大学の管理強化の中でも、寮生は自分たちの望む生活を得るため創意工夫し、大学当局側と対立していった。
- まず昔から続いていた共同生活を続けるために部屋サークル制を採用して、寮生同士が活発に交流を持てるように複数形態で暮らすことを考案した。当初は、完全個室性を主張していた大学側に反対されたが、寮生は共同生活の重要性を主張し続け、後には複数形態部屋が認められることとなる。
- また、当時は大学の職員が寮の事務室を運営し、寮内の見回りまでしていた。寮生はそれを大学側による寮への一方的な干渉だと考え、事務員を追い出した。そして寮生の手で管理・運営していくことにした。
- そして、1994年には男子寮だった恵迪寮に女子も入寮することが決まり、現在では男女混合寮として生活している[7]。
- 近年は寮生の経済状況の悪化に伴う多忙化や、寮生活に対する考え方の変化などから、個室希望者や寮の自治に参加しない寮生が増えている。中でも自治に関しては、1フロア全てが自治に不参加だったり、寮長選挙が有効投票数(全寮生の2/3)ギリギリで何とか成立するなど深刻だという[8]。
- ^ “佐藤昌介初代総長揮毫の書額「恵迪吉」”. 恵迪寮同窓会. 2013年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月閲覧。
- ^ a b c 『北海道大学学生寮入寮案内 -恵迪寮-』(PDF)北海道大学 。2023年4月4日閲覧。
- ^ “恵迪寮での発掘から発見された木杭列とサケ漁撈” (PDF). 埋蔵文化調査室. 2021年10月1日閲覧。
- ^ 「事務局・学生部及びセンター. 事務局. 一 札幌農学校時代. 二 東北帝国大学農科大学時代. 三 北海道帝国大学時代. 四 事務局の誕生. 五 新制北海道大学の事務局. 六 事務局、部制となる. 七 その後の事務局. 学生部. 一 学生部の変遷. 二 各種施設の設置、廃止等. 三 寄宿舎の変遷. センター. 大型計算機センター. 保健管理センター. 体育指導センター」『北大百年史』部局史、北海道大学、1980年3月、1385-1426頁、NAID 120000970076、2021年10月1日閲覧。ここでいう「すべての寮」とは学部寮であった「北学寮」「桑園学寮」「月寒学寮」「進修学寮」「楡影寮」「有島寮」のことである。
- ^ a b (PDF) リテラポプリ. 北海道大学. (2020-03). pp. 31 2020年5月21日閲覧。
- ^ 旧札幌農学校寄宿舎 - 北海道開拓の村
- ^ 「第二部 部局史. 事務局」『北大百二十五年史』通説編、北海道大学、2003年12月、1305-1333頁、NAID 120000965701、2021年10月1日閲覧。
- ^ ドキュメント72時間 2015年1月30日放送分
- ^ 村橋究理基 (2021年6月9日). “北海道大学恵迪寮寮歌集アプリ -収録曲一覧-”. 2022年1月22日閲覧。
- ^ 作詞は木原均。
- ^ “北海道大学恵迪寮 -寮歌-”. 2023年11月18日閲覧。「令和3年」の欄を参照。
- ^ “北海道大学恵迪寮 -寮歌-”. 2023年11月18日閲覧。「令和4年」の欄を参照。
- ^ 寮生からの情報による。
- ^ a b “一般社団法人恵迪寮同窓会 グッズ販売”. 一般社団法人 恵迪寮同窓会. 一般社団法人恵迪寮同窓会 (2018年). 2018年7月23日閲覧。
- ^ 山口哲夫 編『都ぞ弥生』東京エルム会寮歌委員会、1974年6月、377頁。
- ^ 小屋史編集委員会『士幌小屋活動の記録 -チセ・フレップよ永遠に-』(PDF)恵迪寮自治会、1983年、102頁 。
- ^ 青春の北大恵迪寮編集委員会 編『青春の北大恵迪寮 : 写真で綴る百十有余年』恵迪寮同窓会、1991年、167頁 。
- ^ 『青春の北大恵迪寮 : 写真で綴る百十有余年』(PDF)榊原悟志、1993年、170頁 。
- ^ 『建築ジャーナル 2018年9月号 No.1282』榊原悟志、2018年9月、170頁 。
- ^ 『平成30年度 北海道大学恵迪寮寮歌集』恵迪寮自治会、2018年。
- ^ 久保つぎこ『となりのトトロ』徳間書店、1988年4月30日、88頁。ISBN 978-4196695813。
- ^ 長浜功『啄木を支えた北の大地―北海道の三五六日』社会評論社、2012年2月、260頁。ISBN 978-4784509102。
- ^ “椰月美智子『緑のなかで』特設サイト”. 光文社 (2018年9月20日). 2018年10月3日閲覧。
- ^ 椰月美智子『緑のなかで』光文社、2018年9月。ISBN 978-4334912406 。
- ^ 朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』中央公論新社、2019年3月7日、473頁。ISBN 978-4120051715。「安藤与志樹」編内。
- ^ 長浜功『「大志」の細道 十年前の最終講義』社会評論社、2019年7月12日、200頁。ISBN 978-4784517459。
- ^ “NHK番組表ヒストリー『新日本紀行 「都ぞ弥生」 ~札幌・北海道大学恵迪寮~』 - NHKオンライン”. 日本放送協会 (1975年12月8日). 2018年9月26日閲覧。
- ^ “NHK番組表ヒストリー『新日本紀行ふたたび ~NHKアーカイブス~ 「都ぞ弥生~北大寮歌物語~」』 - NHKオンライン”. 日本放送協会 (2007年9月22日). 2018年9月26日閲覧。
- ^ “テレビドラマデータベース”. テレビドラマデータベース (2013年5月6日). 2018年5月10日閲覧。
- ^ “空から日本を見てみよう+ バックナンバー”. テレビ東京 (2013年7月30日). 2018年5月11日閲覧。
- ^ “ドキュメント72時間 2015年 バックナンバー”. 日本放送協会 (2015年1月30日). 2018年5月11日閲覧。
- ^ “月曜から夜ふかし”. 日本テレビ (2016年1月18日). 2018年5月11日閲覧。
- ^ “たけしのニッポンのミカタ!”. テレビ東京 (2017年3月10日). 2018年9月28日閲覧。
- ^ “JCC テレビすべて 【最新のTV情報】”. 株式会社JCC (2018年6月13日). 2018年6月13日閲覧。
- ^ “熱中人 放送内容”. フジテレビ (2018年12月28日). 2018年12月28日閲覧。
- ^ “貧ぼっちゃまの大発明【88円高級ウナギ&10円高級イタリアンEXIT北大潜入】”. フジテレビ (2019年12月7日). 2019年12月26日閲覧。
- ^ “番組情報 - 貧ぼっちゃまの大発明【88円高級ウナギ&10円高級イタリアンEXIT北大潜入】”. TVでた蔵 (2019年12月7日). 2019年12月26日閲覧。
- ^ “ほっかいどうが #1 きょうは、マラソンの日。”. 日本放送協会 (2021年8月23日). 2021年9月6日閲覧。
- ^ 浜中淳 (2019年11月19日). “新・北海道現象の深層⑧ 北海道最強スーパーの意外すぎる過去。デフレ時代に咲いた遅咲きの花、アークス”. 株式会社ダイヤモンド社. 2020年6月6日閲覧。
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