心霊主義 日本の心霊主義

心霊主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/28 01:32 UTC 版)

日本の心霊主義

大本の開祖のひとり出口王仁三郎(1871年 - 1948年)。全81巻83冊の『霊界物語』を書いた。『霊界物語』にはスヴェーデンボリの影響がみられる。

日本においても、西洋でのスピリチュアリズムの台頭とほぼ同じ時期の幕末、『仙境異聞』や『神界物語』など、平田篤胤(1776年-1843年)とその門下による死後世界の研究や、黒住教(1814年設立)、天理教(1838年設立)、金光教(1859年設立)など、「神がかり」による教派神道の成立が相次いだ。明治以降には、仏教学者の鈴木大拙(1870年 - 1966年)が、死後の世界を描いたスヴェーデンボリの著作『天界と地獄』[54]などを翻訳・紹介し、欧米の神秘思想・心霊主義が日本にも伝えられブームとなった。大正期には、当時もっとも実践的な心霊研究をしていた[55]宗教団体・大本(1892年設立)が巨大教団へ成長し、日本の新宗教・新新宗教の源流の一つとなった。

日本の心霊主義運動の父といわれる浅野和三郎(1874年 - 1937年)は、大正末期に大本を離れ、心霊科学研究会(1923年)を設立。日本神霊主義(日本スピリチュアリズム)を生み、昭和期に入ると欧米の心霊研究が日本へ本格的に紹介され始めた。後継者の脇長生が日本神霊主義を発展させた[56]

柳瀬芳意(1908年 - 2001年)によって、『宇宙間の諸地球』 (静思社、1958年)などスヴェーデンボリの著作が継続的に翻訳され、今村光一(1935年 - 2003年)によって『霊界日記』の抄訳『私は霊界を見て来た』(叢文社、1975年)、オリバー・ロッジ 著『死者は生きている』(叢文社、1975年)、前世を記憶する子供や、霊魂の生まれ変わりなど、心霊主義に関する書籍が出版された。

死後の世界ブーム(1985年ごろ - 1995年ごろ)

1971年には、医師エリザベス・キューブラー=ロス(1926年 - 2004年)が末期患者を対象に「死にゆく人々の心理」を研究した『死ぬ瞬間』(川口正吉 訳、読売新聞社)が出版され「死」に注目が集まり、臨死体験の事例を研究したアメリカの医師・心理学者レイモンド・ムーディによる『かいまみた死後の世界』(中山善之 訳、評論社、1977年)とその続編『続 かいまみた死後の世界』(駒谷昭子 訳、評論社、1989年)や、アメリカの精神科教授イアン・スティーヴンソンらが前世の記憶を検証した『前世を記憶する子どもたち』(日本教文社、1990年)も邦訳され、欧米で進んでいた「死後の世界」や「再生(輪廻転生)」に関する科学的な研究成果が日本にもたらされた。『スウェデンボルグの霊界からの手記』(経済界、1985年)など、今村光一によるスヴェーデンボリの紹介も続いた。

心霊主義・神智学は、1960年代のアメリカの対抗文化を背景として1970年代以降に欧米で広まったニューエイジ運動の源流でもあり、日本ではニューエイジは「精神世界」として受容され1980年代に広まった。心霊主義関係の海外の邦訳などの影響で、日本では1980年代半ばから「死後の世界ブーム」がおこり[57][58]、1986年ごろから人の守護霊の声を聞くという宜保愛子らが霊能者としてテレビに出演するようになった。脇長生の門下桑原啓善(1921年 - 2013年)は、脇の思想にイギリスの霊界通信の内容を加味させて、ネオ・スピリチュアリズム(1985年 - )を作り出した[56]。また、俳優としても知られる心霊研究家丹波哲郎による心霊主義の著作「大霊界シリーズ」が1987年からに出版され通算で250万部に達し、死後の世界を幻想的に映像化した映画「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」(1989年)は続編「丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!」(1990年)とあわせて300万人の観客動員数をよんだ。1991年にはNHK臨死体験を取材しNHKスペシャルで放送され、臨死体験が一般社会にも浸透するきっかけとなった。この放送は、宗教やオカルトの問題と考えられていた「臨死体験」にNHKが真正面から取り組んだことで、大きな反響を呼んだ[57]。またチベット仏教ニンマ派の死者の枕頭で誦される仏典で、転生へと誘う光に満ちた死後の世界が描かれた、通称チベット死者の書も1990年代に注目を集めた[57]

心霊主義・近代神智学は、オウム真理教(1989 - 2000)などの日本の新宗教にも影響を与えた[59][39]東京外国語大学の樫尾直樹は、オウム真理教のコスモロジーの骨格には、「精神世界」の潮流の中でも、とりわけ心霊主義や近代神智学の影響がまざまざと見て取れると指摘している[39]。オウム真理教の自己救済・他者救済の教義の根本には、何代も前からの前世で犯した罪が蓄積したカルマをいかに除去し、解脱するかという、霊魂存続を前提とした信念が重要視されていた[39]

1995年の地下鉄サリン事件などオウム真理教による一連の事件の影響で、「死後の世界」ブームも急速に終焉に向かい、心霊主義やスピリチュアリティの分野がメディアで取り上げられることも大幅に減った。

スピリチュアル・ブーム(2000年代初頭)以降

心霊主義は、スピリチュアル・カウンセラーを称する江原啓之(1964 - )をきっかけに再びブームとなった。江原は、浅野和三郎に始まる日本的心霊学を継承する団体のひとつである日本心霊科学協会の流れを汲むが[60]、イギリスでも心霊主義を学び、心霊主義に現代のセラピー文化を取り入れて現代風にアレンジして、1989年に「スピリチュアル・カウンセリング」を掲げてスピリチュアリズム研究所を始めた[5]。江原の著作『幸運をひきよせるスピリチュアルブック』(2001年)がベストセラーになり、テレビ番組「オーラの泉」(2005 - 2009)などメディアに盛んに露出するようになったことで、心霊主義は「スピリチュアル」として一般に広く普及した。「オーラの泉」は、江原がゲストのオーラや前世や守護霊オーラなどを「霊視」してアドバイスをする番組で、スピリチュアル・ブームを生んだ[61]。「オーラの泉」などのスピリチュアル番組は、日本民間放送連盟が規定する次の放送基準の観点から問題視された[61]

第8章 表現上の配慮 (54)占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない。現代人の良識から見て非科学的な迷信や、これに類する人相、手相、骨相、印相、家相、墓相、風水、運命・運勢鑑定、霊感、霊能等を取り上げる場合は、これを肯定的に取り扱わない。

全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)は2007年に、民放連BPO(放送倫理・番組向上機構)などに、「霊界や死後の世界について安易かつ断定的にコメントし、占いなどを絶対視する」番組を是正するよう要望書を提出した。これを受けて、スピリチュアル番組では「“前世”、“守護霊”は、現在の科学で証明されたものではありません」などの断りのテロップを流すようになった[61]。宗教情報センターの藤山みどりは、占い師がゲストを鑑定する番組「金曜日のキセキ」(2010 - 2011)では、「前世」「オーラ」「守護霊」など「オーラの泉」で批判された言葉は使われないが、現代では非科学的とされる「霊」「死後の存在」を肯定するような表現が見られると指摘している[61]

2007年に大学生を対象に実施された國學院大學による第9回学生宗教意識調査では、「オーラの泉」を知っていた学生の8割[62]が、この番組は「やらせ」があると回答しているが、「オーラの泉」での「霊の話」を信じるかどうかという質問には、46.1%[63]が信じると回答した。同調査で「霊魂の存在」を信じると回答した学生は68.6%[64]と多く、2010年の第10回調査でも65.5%と同水準で高い。NHK「日本人の意識」調査(2008年)でも、若年層を中心に来世、あの世など死後存続を信じる人が増えていることが示されている[61]

折原みとの少女小説〈天使シリーズ〉(1988年 ‐ 1991年)、冨樫義博のマンガ『幽☆遊☆白書』(1990年 - 1994年)、高橋留美子のマンガ『境界のRINNE』(2009年 - )といった作品でも、死後存続、死後の世界、霊魂、霊体、輪廻転生といった心霊主義の概念が取り入れられており、人気を博している。








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