徳川家定 偏諱を与えた人物

徳川家定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 15:43 UTC 版)

偏諱を与えた人物

家定時代(将軍在職中)

家定の在任期間は数年であり、この間に偏諱を賜った人物も上記の2名だけであった。

(補足)
  • 家定は初め家祥(いえさち/いえさき)と名乗っていたが将軍就任に際して家定に改名している。これは名にのついた江戸幕府の将軍()には実子がないか、いても早世したため縁起が悪いとされたためだという。しかし家定にも結局実子を得ることができなかった。また後継の徳川家茂が慶福から家茂に改名したのも同様の理由だと考えられるが、結局家茂も子宝に恵まれないまま死去した。
  • 将軍の一字(偏諱)を拝領する家柄は固定していたので、元来「定」の字を使用していた大名が遠慮して改名するという現象を生じた(例:久松松平氏の松平定穀→松平勝善、松平定猷→松平猷松平定保→松平勝道)。

関連作品

テレビドラマ
テレビアニメ
漫画

脚注


注釈

  1. ^ 画像には入っていないが、画面右上に「温恭院様」の書込がある「院号本」。なお徳川記念財団には、ほぼ同図だが平緒が異なる狩野雅信筆の肖像画もある(岡崎市美術博物館編集・発行 『特別企画展 家康の肖像と東照宮信仰』 2017年6月2日、第115,116図)。
  2. ^ 家定との結婚時(1841年)には父の政煕が死去していたため、兄である鷹司政通の養女として輿入れしている。

出典

  1. ^ a b 篠田達明『徳川将軍家十五代のカルテ』〈新潮新書〉2005年5月。ISBN 978-4106101199 
  2. ^ 芳即正「島津斉彬の証言に聞く」『日本歴史』551号、1994年4月。 
  3. ^ 将軍継嗣問題と維新前後の篤姫
  4. ^ 久住真也『幕末の将軍』(講談社、2009年)の説。


「徳川家定」の続きの解説一覧




徳川家定と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「徳川家定」の関連用語

徳川家定のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



徳川家定のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの徳川家定 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS